Tokyo Rocks You #1 ラティール・シーさん

Tokyo Rocks You

音楽がない東京なんて。

2007年6月13日(水)

#1 ラティール・シーさん

アフリカンパーカッショニスト
(1993年来日)

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伝統を大切にし、それを基礎にして
新しいものを作る。それで初めて
人々の感情を揺さぶるものが
生み出せるのです。


東京の様々なミュージックシーンを、アーティストとのインタビューを通してお送りする「Tokyo Rocks You」がスタートしました。第1回目のインタビュー、はっきり言ってスゴイです。アフリカン・ドラム奏者のラティール・シーさん。かつてワールドカップの開催式典や、フランスの元大統領ミッテラン氏などの歓迎式典などで演奏し、ここ日本では狂言師・野村万之丞氏とも競演。また白井貴子やOriginal Love、Leyona、林明日香など日本の音楽シーンの中心で活躍するアーティストのライブやレコーディングにも参加されてきました。
実際にお会いしてみて、めちゃめちゃ気さくで楽しい方、という印象を持ちました。何より、穏やかなお人柄です。でも、心はまるでアフリカの灼熱の太陽のようにアツい!ラティールさんの、日本への厳しくも優しい眼差し。皆さんも一緒に何かを感じていただけると嬉しいです。                              
*インタビュー@ 井の頭公園(武蔵野市・三鷹市)


English




奴隷の島で生まれた。

僕のウェブサイト(latyrsydiaspora.com)の名前にある「ディアスポラ」(離散)は、僕の出身地であるゴレ島を象徴する言葉です。そこはかつて、奴隷を排出してきた島でした。アメリカの黒人、ブラジルの黒人、キューバの黒人、彼らはかつて僕が生まれた島にいたのです。ゴレ島は、ユネスコ世界遺産にも登録されています。お父さんやお母さん、そして彼らの子どもまでがよそに連れて行かれ、売られました。だから僕は自分のサイト名に「離散」の言葉を入れたのです。「自由」の意味を込めて。
僕は奴隷の島で生まれました。それを僕は本当に誇りに思います。そして人にも、僕らの歴史を知ってほしいのです。


東京は暑い!

日本に来たいと思って来たわけではないんです。休暇でちょっと日本に観光に来ないか、という誘いを受けて、それで日本に3ヶ月滞在しました。その後セネガルに帰ったんですが、日本に戻って来て、それから日本に住んでいます。
東京に着いた時は、街がすごく大きくて、圧倒されました。そのせいか、ひどく疲れました。初来日イコール、僕がセネガルから出た最初の旅だったんです。飛行機にもこの時初めて乗りました。こんなに遠くまで旅行したのは初めてでした。日本についても何にも知りませんでしたし。だから驚きの連続でした。高いビル、たくさんの車、そしてたくさんの人。 
ちょうどその日は暑かったんですよ。35度ありました。アスファルトから湯気が出ていました。セネガルも暑いですが、日本のような暑さじゃないんです。日本は湿気が多いですよね。セネガルは、カラッとしています。日本のような暑さは感じないでしょうね。日本の夏は暑苦しいし、何もしていなくても汗が出てきます。セネガルでは、夏も風が吹いて涼しいし、泳ぎにも行けます。でも、特に東京では、近くにシーリゾートと呼べるところがありませんよね。僕はセネガルにいた当時、ゴレ島という島に住んでいましたから、海にも精通しているし、泳ぎや釣りも知っています。東京に対してそこまでは期待していませんでしたが、それでも来日当時はあまりのシーリゾートの無さに驚きました。


顔を見てビックリされた。

セネガルとは気候が違うし、食べ物も違うし、言葉も違う。あと、僕が日本に来た頃は、日本人は黒人に慣れていなかったです。それがかなりショックだったし、その上日本語が話せませんでしたから、人とも話せなかった。日本人は日本人で、英語が話せない人もいたし。それに日本人はシャイですよね。こちらが道を聞いても、「わかりません」なんて言ってサッと行ってしまう人もいましたからね。僕が通りを歩いていた時に、僕の顔を見て「びっくりした!」なんて言った人もいました。
セネガル出身のパーカッショニストとしては、僕が日本在住第1号です。自分の国の言葉さえも話す機会がなかったんですから、本当に辛かったですね。話したい時は、セネガルに電話するしかなかった。セネガルに帰ろうなんて、何度も考えましたよ、あまりに辛かったから。友人も一人もいませんでした。


ラティールさん主催 ゴレ島訪問ツアー(2009)


「ライオンを見たことはあるか」

僕が日本に初めて来たとき、人々はみんなアフリカに対して誤ったイメージを抱いていました。サファリパークとか、動物がたくさんいるとか・・・「ライオンを見たことはありますか?」なんて聞かれたこともあります。全然違います。僕が住んでいたのは人口1500人ぐらいの小さい島ですが、みんな平和に、幸せに暮らしています。でも日本人が米を食べることにはびっくりしました。僕らセネガル人も米を食べますからね。そう知ってから、ずいぶんと気が楽になりました。



「みんな同じ人間」それに気づいて楽になった。

セネガルに帰った時はすごくほっとしました。でも、3〜4ヶ月の日本滞在を経てセネガルに帰ると、今度は「もう一度日本に戻りたい」と思うようになったんです。本当に戻りたいと思いました。だから再び日本に来たんです。日本食に慣れたというのが大きかったですね。
来日した頃の僕はすごくシャイでした。誰とも話さずに、いつも一人でいました。でも、そのうちに人と話せるようになったんです。同時に、自分が考えていることも人に話せるようになりました。アフリカ人でもそれ以外の地域の人でも感じることは同じ、ということに気がついたんです。
僕らは同じ「人間」です。だから広い心さえ持てばどこへ行っても、人から愛される人間になれる。そういう思いを実践してきたことが、日本での生活の助けになりました。
その思いは、音楽にもプラスの影響を与えてくれました。何のストレスもプレッシャーも感じることなくプレイできるようになったんです。全てはゆっくりゆっくりと、だけど着実に変化していきました。


伝統芸能と出会う。


日本に来てから、僕を日本に招いてくれた人に会いました。その人が、僕を能楽師や、日本舞踊の名取といった方々に会わせてくれました。彼らの舞台も見に行きました。
でも能楽堂などに行くたびに感じたのは、僕のような若い世代の日本人がいなかったことです。だから、そういう場所にいられることってすごいことなんだ、と思ったし、ご年配の方々とディナーやパーティーに参加させていただけたのには本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。その方たちが、僕に日本語を教えてくれたのです。


日本に来たのは、僕が課せられたミッション。

その時、僕は思いました。僕は日本に来るべきだったんだ、と。アメリカでも、フランスでもなく、日本なんだと。僕が日本に来るとき、それらの国々を通過して日本に来たわけですから。
なぜ僕が日本に来たのか。他の人でも良かったはずです。僕の家族は、僕を日本に行かせたくなかった。「何て所に行こうとしてるの。行ったって知り合いなんか誰もいないんだよ。それに遠いし」彼らの気持ちも理解できます。だって、誰もが日本のことを知りませんでしたから。本当に、何も知らなかったのです。
それでも日本に来たのは、きっと僕が果たすべき任務だったんでしょう。家族や友人からも、遠く離れてしまった。全てを故郷に置き去りにしてまでここに来たのは、セネガルを代表して日本に来るという任務を与えられたからでしょう。僕は日本の人たちに自分の文化を紹介するために、日本に来たんだ、そしてアフリカのことを伝えるために日本に来たんだと思いました。
僕は、海外から来るミュージシャン全員が、それぞれの国を代表する大使だと考えています。僕らはみんな、自国を代表してやって来ているのです。


日本人はどこにいる?

僕が生まれたとき、周りの人たちはすでにドラムを叩いていました。そして今でも叩き続けています。おかげさまで、今こうして自分の音楽を引っさげていろんな国々に行くことができます。
僕自身は、自分の音楽をより良く、もっとグルーヴィーなものにしたいと思っています。僕は何かを作り出すのが好きです。なぜなら世界は次世代の人々のために創造を必要としているからです。そして創造に必要なのは、その基礎となるものです。「基礎」とは何か?ルーツです。自分たちのルーツである伝統をまず大切にして、それを基礎にして新しいものを生み出していくことが大事です。そうやって初めて、人々の感情を揺さぶるものが生み出せると思うのです。
今でこそ若い人たちにも日本舞踊をやる人が出てきたりしていますが、かつて僕は日本人、特に若い人たちが、いかに自分たちの伝統文化に関心が無いかを知って驚きました。
例えば能楽堂に行けば、たくさんの若い人がいました。外国人ですけどね。浅草に行っても、あまり若い人は見かけません。若い人たちはアメリカやヨーロッパから来た、今風の物が好きです。一方で外国から来た人は、日本の歴史を学びたがっています。


ドラムはファッションなんかじゃない。

だからこそ、僕はドラムをファッションになんかにしたくないんです。ドラムはずっと長い間、コミュニケーションツールとして使われてきました。自分たちは、ファッションのためだけに叩いているのでは決してないのです。そして僕らは、心の底からドラムを愛しています。日本の人たちには、もっとそのことを意識してほしいです。
今では僕の講座で日本人の生徒さんがドラムを叩きますが、彼らに言いたいのは、ドラム演奏の、もっと内面を知るべきだということです。もしドラムがファッションなら、1年か2年、下手すると3ヶ月や半年で終わってしまいます。ドラムをどこかに置きっぱなしにしたり、中には捨ててしまう人も出てきかねません。ドラムを演奏する者として、僕はそのことに対して大きな責任を負っていると感じます。




不可能なことは無い。

日本の伝統音楽にはとても深くて繊細で、意味をたくさん含む部分があります。尺八の音色や、能の発声、歌舞伎、日本舞踊、全てに意味があります。アフリカも同じです。マリや象牙海岸、ブルキナファソに行けば、その地特有のリズムが感じられると思います。日本独特のリズムも、それらと一体となることが出来るのです。
では、セネガルと日本の双方の文化が一体になれるかどうか?それを実現させるためには、お互いがお互いを感じ合い、理解し合うこと、つまり自分の国と相手の国の双方を理解することが必要です。アフリカのリズムと日本の能が、どうやったら融合するんだ、そんなことは不可能だ、と思われがちですが、まず試してみることです。そしたら意外にうまくいくものです。不可能なことは無いのです。
能の鼓とアフリカのジャンベの共演も、全く変なことではありません。ただ日本の伝統文化は、往々にして敷居が高いです。でも子どもたちの将来のためには、伝統文化の世界の人たちの意識も変えていく必要があるでしょうね。             


もっと激しく、感じるままに。

(遠くから三味線の音色が聞こえてくる)・・・ほら、誰かが向こうの方で三味線を弾いていますね。これこそ僕が話していることです。これこそが日本なんですよ。ここで耳にするのは、だいたいギターの音でしょう?でも時には、三味線の音色が聞こえてきたっていいわけです。尺八だっていい。もしそうなったら、自分が日本にいることをもっと感じることができるし、もっとリラックスできますよ。
さっき、僕らは三味線の音色に同じように反応しましたよね。音色を聞いて、素直に感情を出す。それでいいんです。ミスだって犯すでしょう。それでもいいんです。僕だってたまにミスしますから。大切なのは、体で何かを感じることです。そして好きなように頭を動かしたり、足を動かしていいんです。僕は自分のアフリカンドラム教室の生徒に、そう教えています。


まずは試せ。聞くことをためらうな。

でも生徒にドラムを教える時、難しい部分があるんです。「手を叩いて!」と言ったら、彼らは叩くんですが、それは皆が叩いてるからなんです。「皆がこっちに行っている、だったら僕もそっちに行こう」という考えですね。そこが一番難しい部分です。料理と同じです。「あなたはあなたのアイデアがあるから、あなたのスパイスを使えばいい。私は私のアイデアがあるから、私のスパイスを使うよ。これとこれを混ぜてみれば、きっとおいしくなるんじゃない?」そういうふうに、まずは試してみることが大事なんです。でも試さない。一番厄介な部分です。
そして彼らは質問してこないですね。わからないことがある場合、彼らは生徒同士で質問し合っているんです。隣の人には聞くけど、先生には質問しない。
僕が教えているんだから、僕に聞くべきです。でも彼らはお互いで聞き合っている。質問するのをためらい過ぎです。


日本からアフリカ文化を。

能には「三番叟」(さんばそう)という彼ら独特のリズムがあります。そのリズムと僕らのリズムを融合させることはできます。大切なのはイマジネーションです。相手から何を感じるか。自分に向かって響く音をどう感じるか。本当にたくさんのことを感じなくてはなりません。
僕を見て「日本人みたいだ」と思う人がいるかもしれません。実際に、「もうすっかり日本人だね」と僕に言う人がいますが、そんなことは決してありません。僕はただ、今いる環境を感じ、そして聞こえてくる日本のリズムを感じているだけなんです。それらを伝える手段として、僕はアフリカの伝統的なリズムを用いたいと思っているのです。
僕がやっているのは音楽です。音楽の核となるのは「感じること」であり、理由も無く戦ったり、殺し合ったりすることとは真逆です。僕は日本と僕の国の関係がもっと良くなってほしいと考えています。そしてお互いが助け合えればいいな、と思っています。そして助け合うだけじゃなく、音楽を通じて「感じ合う」ことで、それらを実現させたいと思っています。
日本を出発点にして、世界中にアフリカの文化を発信していく。それが僕の夢です。物事が全て良い方向に進んで行くように望んでいます。

IMG_2933_edited.jpg *撮影:竹森 正幸


ラティールさんにとって、東京って何ですか?       

人との出会いを生む素晴らしい街です。

東京は僕が世界で初めて来た都市であり、僕が故郷の地以外で全ての始まりとなった場所です。僕はここで仕事をしていますし、仕事のために僕は東京にいなくてはなりません。
だから東京という街は、僕にとってたくさんの意味を持つ場所なのです。

東京は僕の音楽や、僕の果たすべき「使命」の遂行に
ふさわしい街です。



ラティールさん関連リンク

ラティールさんのホームページ(日本語・英語): http://latyrsydiaspora.com

Flying Rhythms: http://www.lastrum.co.jp/flyingrhythms



ラティールさんのアフリカンパーカッション講座

*The Gateway Studio 渋谷店 http://www.gw-studio.com

(渋谷駅西口から徒歩5分/毎週木曜日 午後8時〜10時)

*池袋コミュニティカレッジ http://www.seibu.co.jp/c_college/genre/index.html

(池袋西武イルムス館8階/毎週火曜日 午後7時半〜9時)


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池袋コミュニティカレッジでの授業風景です↑



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