2007年7月12日(木)
#2 マイアさん
ミュージシャン(ボーカル/フルート・パーカッション・チンドンサックス奏者)
(東京生まれパリ育ち、現在は東京在住)

私はフランス人ではありません。
日本人でもありません。私は私です。
「Tokyo Rocks You」の2回目は、日本とフランスをルーツに持つ多才な女性ミュージシャンのマイアさんです。フルートやサックス、ブラジルの打楽器パンデイロなど、実にいろんな楽器を弾きこなし、歌まで歌ってしまうスゴい人です。最近では、自らの活動の傍らで日本のアーティストをフランスに紹介するプロデュース活動もされています。
驚くべきは、彼女の育った音楽環境。マイアさんは6歳の頃にピアノを弾き始めましたが、それ自体はさほど特別なことではないかもしれません。でも、とにかくこのインタビューを読んでみてください。きっと驚くと同時に、彼女のあふれる才能の理由を知ることができるでしょう。
*インタビュー@ シャンソンバー「ソワレ」(新宿ゴールデン街)
English
偉大な音楽家とともに。
私は赤ちゃんの頃から良い音楽をいろいろ聴いてきました。それは私が育った家庭環境によるところが大きいと思います。
私のお父さんは音楽プロデューサー兼映画監督兼俳優のピエール・バルーです。彼はたくさんの曲も書きました。中でも『男と女』はご存知の曲だと思います。
そんなお父さんのおかげで、家にはいろんな人が出入りしていました。ミュージシャン、俳優、コメディアン、ブラジル人、アフリカ人、日本人、フランス人・・・いろんな人が家にやってきました。こういう経験をしてきたこと、そしていろんな人やいろんな音楽に出会ってきたこと、それらが本当に実を結び花を開かせるのはいつかわからないけど、きっとそういう時が来ると思います。今のバンドにも感謝してるし、育ってきた環境にも感謝しています。
ミュージシャンへの道を歩み出す。
最初の転機は私がブラジルに行って現地でフルートの音色を聴いたときでした。それでフルートがすっごく吹きたくなりました。でもその頃すでに16歳だったから、かなり遅かったと思います。それからレッスンを受けながら、クラシックを演奏したりしていました。
私が高校生の時、英語を勉強しにカナダのバンクーバーへ行きました。現地の高校で私はビッグバンドに参加しました。55人もの若い子たちがトランペットやトロンボーン、サックスを演奏していました。
当時私はフルートを始めてから半年しか経っていなかったので、まだまだ演奏が未熟だったので、本当に大変でした。バンドの人から、ジョージ・ガーシュウィンの『ラプソディー・イン・ブルー』の1パートに入れさせられたんですが、本当に辛くて「もうこんなの無理!もうやめたい!」ってお母さんに電話しました。お母さんは「じゃ、やめなさい。無理しないで。」って言いました。お母さんは私を知ってるんです。お母さんが「やめなさい」って言ったら、私はやるんです(笑)もう私の心に火がついちゃって「絶対にやってやる!」って。
それから狂ったように練習して、それで何とかみんなについていけるようになりました。それで、私はそのビッグバンドで1年演奏しました。めっちゃくちゃ楽しかったですよ。55人もの人で音を奏でるわけですから。ビッグバンドの1列目でフルートを吹いているところに、後ろからグワーッと音が聞こえてくるんです。大勢の人と演奏したり、みんなで音を出すことがこんなにも楽しいことなんだって、この時初めて感じました。
これは大きなターニングポイントでした。この時、私はこの先、音楽に真剣に取り組んでいこうと思いました。それから日本に帰って高校を辞めました。音楽で生きて行こうと決めましたからね。でも両親はそんな私を信じてくれていました。それには本当に感謝しています。だから「よし、音楽でやって行こう!」って思えたんです。
衝撃的な出会い。
日本に帰ってきた後、私は素晴らしい音楽に出会ったんです。 ”かぼちゃ商会”という、チンドン屋さんスタイルのバンドだったんですが、彼らの演奏する音楽は、いわゆる「ネオ・チンドン」というものでした。
チンドン屋さんというのは昔ながらの日本のストリートミュージックですが、決して環境に恵まれたとは言えない人たちでした。顔を白く塗って、「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ!」って言いながら楽器を弾いて、お客さんを呼び込んでいる姿は、半ばみじめにも思えてきますね。彼らは年寄りで貧乏というのがお決まりでした。私たちは、そんなチンドン屋さんの在りし姿を保ちながら、音楽を私たち流にアレンジしていきました。それが「ネオ・チンドン」です。
かぼちゃ商会は「ネオ・チンドン」を最初に始めたグループです。このバンドは、今はもうないんですが、15年間活動していました。彼らと出会った時、私のミュージシャン人生が始まりました。17歳の頃でした。「この人たちと一緒に演奏しなさい」って、神様に言われてるように感じました。彼らの音楽はそれだけ衝撃的だったんです。
喜びと悲しみが湧き上がる。
それまでの私はフランスでの生活が中心だったから、日本の音楽のことは本当に知りませんでした。だからこのチンドン屋さんスタイルのバンドを初めて見た時は、「これって何だろう?」と思いました。そして全ての感情がグーっと湧き上がってきました。喜びと悲しみが一緒になって湧き上がってきました。サーカスとか、フェデリコ・フェリー二の映画とか、ヨーロッパの映画や音楽などに流れるものと似ていたんでしょうね。
私は彼らに、メンバーとして参加したいと言いました。二つ返事でOKでした。ただし、条件がありました。フルートじゃなく、サックスを吹くこと。なぜならこれはストリートミュージックだからです。だから私はサックスを始めました。毎日毎日、狂ったように練習しました。そして1ヶ月半後、彼らのフランスツアーに参加しました。
その後、私が今でも一緒に活動している”ちんどんブラス金魚”というバンドに出会いました。メンバーの一人がシャンソン歌手です。私はそこではサックスとフルートを吹いています。チンドン、シャンソン、ジャズなど、いろいろな音楽を融合させた音楽を、日々作っています。今ではこういうことをしているのは私たちだけでしょう。本当に楽しいです。
感じたいように感じればいい。それが音楽。
今なら、なんでチンドンがやめられないのか、それがわかる気がします。私の内側ですべてがつながっているんです。チンドンは昔ながらの日本の音楽ですが、フランスの音楽にとても似ています。それにチンドンの「ジンタ」のリズムと、ワルツのリズムは同じです。ワルツはヨーロッパで生まれた音楽ですね。そのワルツが持つムードとか、喜びの中に悲しみがある感じが、チンドンにもあったんです。自分の中では筋が通っているから、チンドンに惹かれていくのは私にとってはごく自然のなりゆきでした。
私は「この音楽を聴いたらこういうふうに感じなさい」とか「悲しい気持ちになりなさい」とか「うれしい気持ちになりなさい」とか「エキサイトしなさい」なんて絶対に言いたくない。感じたいように感じてほしいんです。例えば私がチンドンを演奏する時でも、「すっごくカッコイイ!すっごくエキサイティングだし、ハッピーな気分になれるよね」って言ってくれる人がいるかと思えば、楽しさよりもむしろ悲しみを覚える人だっているはずです。感じたいように感じればいい。それが音楽なんです。
だから、どの音楽を私が演奏するのかを伝えるのは難しい。ジャンル分けなんて、しょせんはマーケティングのためだけに過ぎませんから。そういうのって、本当に意味がないのです。
様々な音楽を、ひとつにしたい。
私は歌も歌います。日本語とフランス語両方で歌ってます。両方とも私の言葉ですから。あとはパンデイロ(タンバリンに似たブラジルの打楽器)もたたくし、ベースやピアノとも共演します。いずれは、日本とフランスという私のルーツをミックスしたような音楽が作りたいです。
私の演奏する音楽がどんな音楽か、それを口で伝えるのは本当に大変です。なぜなら人によって受け止め方が違うから。私はアフリカの音楽もブラジルの音楽も好きだし、日本のチンドンも好きだし、フランスのサーカスやワルツも好きです。私にとってはどれも自分の好きなものなんです。自分のルーツや自分が触れてきた文化を全部ミックスして、ひとつの音にまとめあげるのが、私の目標ですね。
日本式の教育に心から満足してました。
私は東京で生まれましたが、お母さんがすぐに私を誘拐しちゃったから(笑)おかげでパリ育ちです。パリでは日本人学校に行きました。だから私の受けた教育は全て日本語です。そのおかげで私は日本にいてもフランスにいても何の問題もなくいられたんです。
私が子どもの頃から、両親は私に、日本とフランスのどっちにいても、すこやかに育って欲しいって強く思っていたようです。もし私が日本語を後回しにして、漢字の勉強とかを大きくなってから勉強することになったら、後々きっと辛いだろうって。だから私を日本人学校に入れたんですね。
私が行った日本人学校は、まったくの日本でした。一歩足を踏み入れたら、そこは日本でした。他人を敬うようにとか、グループでの創作活動、グループ内でのコミュニケーションなどを教えるようなところでした。それって完全に日本の教育ですよね。私はそこで、集団活動を学んだんです。これがフランス流の教育だったら、一人ひとりがもっと個性的でいようって教えられていたと思います。それとか「自分の思ったことははっきり言おう」みたいなね。それはそれで素晴らしいけど、私は日本式の教育に心から満足してました。本当に楽しかったし、好きだったから。
私がフランス語を勉強したのは、日本語よりも後です。フランス語って英語と同じABCDのアルファベットですよね。フランスの現地の小学校には最初の2年間しか行ってなくて、あとは日本人学校に15歳までいました。その後、フランス語を再び勉強しました。
音楽が私を変えてくれた。
私がカナダから日本に帰ってきて、東京に住むって決めた6年前は、今とは感覚が違ってました。見方とか感じ方がもっとフランス人っぽかったです。「何でもっとみんな言いたいことを言わないんだろう?何でみんなシャイなんだろう?」って。
パリにいた時は、それほどフランス人っぽくなかったと思いますよ。でも日本に帰って来た当時は、今よりもフランス人っぽかったと思います。「何で日本って○○じゃないの?」なんていつも思っていました。
でもある日突然、そんなことは全く気にならなくなりました。音楽が私を変えてくれたんだと思います。それまで自分から積極的に音楽に取り組もうと思っていなかったのが、いざ始めたら音楽活動が私の日常になりました。音楽関係の仕事をやろうなんて、思ってませんでしたね。だって私が子どもの頃、お父さんがコンサートをやるたびに、私を舞台に上げようとしたんですから。もう本当にイヤで、テーブルの下に隠れちゃったりしてね。お父さんが呼ぶんですよ。「マイア、マイア、一緒にステージで歌おうよ!」って。私は「お願いだからやめて!」なんて言って部屋の中を逃げ回って隠れたりして。その頃の私はとってもシャイだったんです。でも今はステージが大好きです。
日本は歴史を変えていくパワーに満ちています。
東京は、古いものと新しいものが混ざっている街ですね。それが面白いです。東京では、何百年もの歴史があるお寺のすぐ隣に、大きなビルが建っていたりします。すっごくユニークです。同じことが日本人にも言えます。日本人は自分たちの伝統を守っているんだけど、そのことを本人たちがあまり意識してないですね。っていうか、伝統を守っているってことを本人たちが知らないんじゃないかとすら感じます。
でも海外に行って日本にまた戻ってくれば、きっとそのことに気づくと思うんです。お父さんはいつも言っていました。「日本人は伝統にしっかりと根を下ろしながら、心は23世紀に向かってる」って。もちろん、日本人は自分たちの文化をもっと誇りに思うべきでしょう。でも、その状況も変わってきています。海外に行って、他の国との違いを自分たちの目で見てきている日本人が増えていますからね。それで、日本の良さに気づくんです。私は、日本ってすごく特別な国だと思いますよ。
ヨーロッパの人たちはちゃんと歴史ある街や自分たちの文化、歴史ある音楽や古い劇場を保存しています。でも、彼らの歴史って深くて、それがすごく重たく感じる時があります。本当に、歴史が重たいんです。日本も長い歴史がある国ですが、歴史を変えていくパワーに満ちています。
東京は革新的で創造的。
私には、日本とフランスの橋渡しになるんだっていう思いがあります。具体的には日本の面白いアーティストをフランスに連れて行くことなんですけど、実際に今年の10月末に3組のアーティストを連れて行って、フランスでツアーをします。そこでやるコンサートが「キャバレー・シンジュク」です。これまでフランスのミュージックシーンを見てきましたが、新しいものや彼らのオリジナルのものが見当たりませんでした。フランスの長く重たい歴史に、アーティストまでが縛られているように感じたんです。
でも東京には、人のパワーが感じられます。日本の歴史が彼らを縛りつけてるなんて思いません。そしてたくさんのアーティストが、彼らのルーツと新しいものを融合させようと頑張っています。すごくパワフルで前向きで、本当にわくわくします。革新的で、創造に満ちています。こういうものが、フランスでは感じられないんですよ。フランス文化は、下手をすると死に絶えてしまうというか・・・ワクワクしないんですよね。だから今こそが、フランスにパワーを与える絶好のタイミングだと思います。それが私できることだと思ってます。
いえ、私がやる「べき」なんだと思います。私は日本とフランス、2つの異なる文化に育っていますし、それに私自身がコンサートで良い意味でのショックを受けたいんですよ。
日本の音楽の多様さを伝えたい。
日本って、音楽的な見方をすればとっても大きな国です。実際は小さい国なんだけど、南は沖縄や奄美の民謡から、北はアイヌの歌まで、音楽の種類の多さにはびっくりします。それぞれの島にそれぞれの伝統があり、言葉があり、楽器があります。それってすごく面白いです。そしてしっかりと伝統が引き継がれています。
私は、自分が本当に気に入った音楽は人にも是非聴かせたいと思う性分です。だから奄美の島唄、アイヌの歌、チンドンバンドと東京のクレイジーなミュージシャンたちをミックスしたコンピレーションアルバムを、10月にフランスでリリースする予定です。
でもそれって、お父さんがずっとやってきたことなんです。やりたいとは思っていなかったんだけど、気がついたら同じことをしていたんですね。今は「私もお父さんと同じことをするんだ」って思えます。
日本人とかフランス人とか、そんなのは意味がない。
私は自分の音楽活動のために、日本、それも東京にいようと思います。フランスと日本、いずれの国も文化も、私にとっては大事です。そして・・・・
私はフランス人ではありません。日本人でもありません。何者でもありません。私は私なんです。私だけでなく、みんながそういうふうに思えればいいのになって思います。
でも、自分はどこから来たのか、それを知ることは私にとって大事なことです。私のルーツはどこにあるのか?それはいつも意識しています。でも、私は私でしかないんです。私のお父さんはフランス人ですが、彼の家族はフランス人ではありません。もともとはユダヤ系のトルコ人です。だから、自分が何人かなんて意味ないんです。私のお母さんだって、ずっとさかのぼれば韓国から来た人かもしれないし、そんなの誰も分かりません。だから自分が日本人だとかフランス人だとか、そんなのは意味がないんです。
私はフランスと日本で育ちました。フランス文化と日本文化の両方に触れてきました。そういう環境にいられたことには感謝しています。そして、どちらの国も文化も大好きです。
*撮影:竹森 正幸
マイアさんにとって、東京って何ですか?
東京は、エネルギーをもらいにいつも帰ってくる
お家みたいな街です!
マイアさん関連リンク
マイアさんのホームページ : http://www.maia-zoku.com
ちんどんブラス金魚 : http://www.chinbra-kingyo.com

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