東京対談 #15 傅晨(フー・チェン)さん

東京対談

あなたに会えてよかった。

2008年1月13日(日)

#15 傅晨(フー・チェン)さん

広告代理店ウェブマーケティング担当(1999年9月来日)

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中国人のスタッフがいるから、
会社へのダメージが大きくなるん
じゃないかな。



2008年1回目のインタビューは、My Eyes Tokyo初の中国出身の方とのインタビューです。
傅晨さんは上海のご出身。とっても流暢な日本語を話し、言われなければ中国人とはわからないほどです。一言一言を、言葉を選びながら丁寧に話す姿に、とても好感が持てました。
そして、非常に礼儀正しい方。我々日本人の、特に若者たちが失いつつある「古き良き日本人」の姿を、傅さんが後継しているようにも思いました。

* インタビュー@ コクテル堂コーヒー国分寺店(東京都国分寺市



English




自分が電話に出るのは避けたい。

最近の中国製品へのバッシングについてですが、自分の中ではMade in Chinaと書かれた物はあまり買いたくないという感じです。なので、最近服とかはだいたい、どちらかというと日本製の方を選びますね。
中国製品へのバッシングが、いつの間にか中国人に対するバッシングに発展する懸念は、今でも感じてます。例えば自分はインターネットゲームをやっていて、そのゲームの仲間はほとんどが日本人で、そのゲームで使うパソコンはすごいスペックの要求が高くて、それで自分が使っているメーカーのパソコンを仲間に勧めると、嫌がる人が結構います。サポートの電話を受ける人は中国人スタッフだからそのメーカーのパソコンは買わない、そう言う人たちがいるという状況は現実にあります。
自分の会社でも、正直言って電話受付とかあまりやりたくないんですね。自分の名前を出すと・・・電話の向こうにいる日本人のことを考えると、自分が電話に出るのは避けたいです。中国人のスタッフがいるから、会社へのダメージが大きくなるんじゃないかな、と。
現状ではしょうがない部分があるんじゃないかな。うちの会社の人は、みんな自分を日本人扱いしているんですけど、初めて対応する人とかになると、そういう誤解というか、理解できない部分は必ずあると思うんですよ。だから、誤解を生むことは自分の中では避けたいです。例えば帰化して、日本人の名前にしたら正々堂々と電話に出られますからね。
だから、帰化を考えるんです。それは企業のためでもあります。でもそれは、帰化を考える理由全体の5%くらいです。ちょっと気にしている程度です。
自分は中国人だというアイデンティティはもちろんあります。だけど、中国人のスタッフがいるから企業の製品の評判が悪くなるというケースがありましたから。IT関連の仕事をする上では、正直、しょうがない部分はあります。



ネットなき時代の勉強法。

そもそも私が日本に来たいと思ったのは、主にIT関係の技術に関して、日本の方が中国よりずっと進んでいると思っていたことです。
私の父には兄弟が3人いて、その人たちは全員日本での生活や仕事の経験がありました。だから、私が日本に行くことに対しては、特に周囲からの反対はありませんでした。日本で働くことを考えたら、まずは大学か専門学校で専門課程を受けなきゃいけないというルールがあって、自分はまず大学の日本語別科で日本語を学んでから、IT関係の専門知識を学ぶために専門学校に入りました。そして卒業後、日本に来ました。
日本語は、中学生の頃に行っていた夜間の塾で日本語を学び始めて、高校生になってからは、将来は日中の合弁会社で働く予定だったので、そのための教育の一環として日本語を学びました。
ただ、日本語の勉強を始めた頃はまだ遊びたい盛りだったから、あんまり頑張って勉強することはなかったです。でもだんだん自分の進路を決めると同時に、「これから日本語の勉強を頑張らなくちゃいけないな」と思ってしっかり勉強し始めました。
当時は日本のドラマとかがテレビで放送され始めて、セリフはほとんど中国語の吹き替えだけど、主題歌は全部日本語でした。それで「日本語の歌って結構素敵だな」と思って、中でもCHAGE & ASKAと小田和正の歌は結構好きでした。日本語の勉強を始めたきっかけは、日本語の歌でした。
日本語の勉強は、まず発音からでした。辞書で調べて、ひらがなで歌詞を全部書き起こして、もちろん間違えて起こした部分もあるので、それも少しずつ修正していって、それで初めて歌詞の意味が分かり始めました。テープレコーダーをテレビにあてて曲を録音する。そういうふうにやっていましたね。当時はインターネットも無かったので、勉強方法はテレビの録音と辞書だけでした。



高校で、日本流の商売を学ぶ。

上海では日系デパートのヤオハンがいくつかの商業高校に教育を依頼して、将来ヤオハンで働く人を育成していました。実施していたのは上海の5〜6校の商業高校で、私はそのうちの1校に通っていました。
高校3年間の課程の中に、日本の会社の社員教育が含まれていました。それも当時は、ヤオハンの香港支社から教育の専門家たちが上海に来て、いろいろ教えてくれました。例えば礼儀とか、日本語の敬語とか、いろいろ大変勉強になりました。
1年生と2年生は普通の高校の課程とあまり変わらず、経営やビジネスマナー、英語、数学を普通に学んで、3年生になると、ちょうど94年か95年頃、上海のヤオハン開店とともに、まだ学生ですが当時の開店スタッフとして働き始めました。実地研修です。


ヤオハンで学んだこと。

私が研修を受けた会社の名前は、ヤオハンと中国の「上海第一デパート」との合弁会社で、当時の会社名は「上海第一ヤオハン株式会社」です。
開店当時は、日中合弁会社なので、管理職の55%は日本人で、現場のマネージャーさんも日本人で、朝礼から習いました。自分にとってはものすごい新鮮なやり方でした。朝礼は、社員の士気を高めるには役に立つのではないかと思いました。
中国系のデパートとの違いは、大きいですね。まず環境とか接客態度とかは、合弁企業の方がずっと良い。環境は、当時ヤオハンが決めたルールの中では、売り場と売り場の間に通路があって、その通路の幅は横幅3メーター。それは他のお店では体感できない快適な広さです。そういう買い物のための環境を提供するのも、デパートの方針の一つです。そういうことも日本企業から学びました。
最初にヤオハンで配属されたのは売り場で、第一志望で家電部に配属され、パソコンに詳しいというのと興味があったということで、希望通りパソコン売り場に配置されました。そこで3年間働いたあと、財務部の電算室で2年間働きました。ヤオハンで売っていた物の中で日本製の製品は、デザインとか質とかがかなり良くて、他の国の製品と比べてもかなり良かったですね。



スパルタマナー講座。

叔父が日本にいたことが、日本に来たきっかけでもあります。私には叔父さんが3人いて、そのうちの2人はすでに中国に帰国しましたが、一番末の叔父さんは、彼だけでなく彼の家族全員が日本に帰化したんです。
その叔父の家にホームステイしていた頃、看護士である叔母が生活習慣に関してはかなり厳しかったです。健康面や日本のマナーを教えられたんですが、厳しさのあまり喧嘩をしたこともありました。今はすごくありがたいと思っていますよ。


サウナみたいな中央線。

東京に来て、感じたことがあります。どんなことでもマニュアル通りでやる、みたいなところでしょうか。もっと良いやり方があるのに、それでも決まったやり方でしかやらないようなイメージがあります。
一番分かりやすい例が、電車です。国分寺からJR中央線に乗っていつも通勤しているんですが、昔の古いオレンジ色の車両で、特に帰りの電車で、ものすごい蒸し暑いのに、みんな窓を閉めたままで乗っていました。もう汗をすっごくかいているのに、そのままサウナみたいな車両で誰も窓を開けようとしない。もし自分が窓の近くにいたら必ず開けます。でも何故か、ものすごい厚い服着ているのに、汗を顔中にかいているのに、窓を開けないのはどうかと思います。それは冬なんですけどね。
車掌のマニュアルにも問題があるんじゃないかと思います。蒸し暑くても、エアコンをマニュアル通りに設定する。車掌を一般の車両に連れて来て味わわせたいくらいですね。対応の柔軟性が足りないです。
あと、日本に来て最初の頃は、初対面の人でも結構親切だったんですけど、今は自己中心的な人が増えてきたように思います。それがちょっと心配ですね。
他に日本の悪いところとして、人々の表現力が低下したように思います。ことわざとか四字熟語で表現することがどんどん無くなっていくんじゃないかと、もっと日本語を勉強したい身としては心配になります。


失われる家族の絆。

最近の日本では、礼儀が失われつつあるような気がします。ちょっと残念というか、悲しい部分ですね。家族の中での温かさ・・・お正月とかに家族と一緒にいない人は、まあ友達が付き合いの中心になっていても良いんだけど、やっぱり家族の絆がだんだん失われていくんじゃないかと不安になります。
中国では、家族の絆は大事にされているんじゃないかな。お正月とかは、みんな家じゃなくてレストランとかで、家族全員で20〜30人くらい集まって、一緒にご飯を食べたりする経験を、自分はしてきました。


日本人の奥さんを見つけて、日本で家庭を築いて、今の仕事を続けたい。

食べ物とか街の雰囲気は懐かしいですね。特に食べ物は向こうの方が自分にとってはおいしいです。こっちもおいしいんですけど、日本の中華料理はちょっと高いし、味も日本人向けの味付けにしてあるから、「おふくろの味」とか、子どもの頃からずっと食べてきたものを食べたくなりますね。
上海では、仕事帰りとかに小龍包の専門のお店に入って、夜中の12時まで友達といたりしていました。日本ではそういう場所がないですね。
初めて日本食を口にした時の印象は、あっさりした感じでした。正直、中華料理は味が豊かだったです。油っこいということもあるんですけどね。日本の味は、素朴だと思いました。
でも、ホームシックはほとんど無いと思います。でも年に1回帰ることは自分の中で決めています。両親が向こうにいますからね。
電話は毎週金曜日、仕事が終わってから必ずします。向こうも電話を待っていますので。「全部順調だよ。心配しないで」みたいな感じです。
日本にはこれからも住み続けたいと思います。母は「日本で彼女が出来なかったら上海に帰って来い」みたいな勢いでしたが、理想としては日本人の奥さんを見つけて、日本で家庭を築いて、仕事も続けられればいいなと思います。

IMGP6327.JPG Interview by Hisa


傅さんにとって、東京って何ですか?

夢の都市であり、第2の故郷です。

ここ東京で、企業における自分の存在価値を見つけて、会社に貢献できたらいいなと
思います。愛社精神は、ヤオハン時代からずっとありますから。

そして東京で家庭を作って、安定した仕事をして、
生活していく。それが夢です。



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