2008年1月18日(金)
#4 ネルソン・バビンコイさん
ネルソンさんの生の声が聴けます!
シンガーソングライター(2005年に来日)

僕が日本で実現させたいのは、
「一生懸命やっていれば、きっと
目標に到達できる」と皆さんに
示せるようになることです。
ネルソン・バビンコイさん。アメリカはロサンゼルス出身のシンガーソングライターです。日本語で歌います。そして日本語での作詞は、全てネルソンさんの手によるもの。でも、音楽活動を始めたのも、そして日本語の勉強を始めたのも10代半ばと、それほど早くはありませんでした。だけど、1度はインディーズレーベルからデビューした実力の持ち主。そして日本語は、日本人と遜色ない完璧なレベル。味わった挫折をバネに今、日本での滞在資格を賭けたメジャーへの戦いに挑みます。
*インタビュー@ イタリアントマト三軒茶屋店 & ネルソンさんのご自宅(世田谷区三軒茶屋)
English
オレのヒゲに触るな!
僕が初めて日本に来たのは7年ほど前です。当時、僕は15歳でした。「姉妹都市交流プログラム」というのが僕の故郷のカリフォルニア州バーバンクにあって、そこは群馬県太田市と交流があったんですね。それに参加した時、1日だけ東京に来ました。群馬は自然にあふれた所で、僕はそこで素晴らしい人たちに出会いました。ホームステイ先のホストファミリーやたくさんの友達と、本当に楽しい時間を過ごしました。居心地が良くって、心からリラックスできました。
当時は日本語の知識なんて全然ありませんでした。日本に来る前に少しだけ日本語の勉強会みたいなものがあって、そこは「おはようございます」「こんにちは」「ありがとうございます」「トイレはどこですか?」みたいなフレーズを教えてくれました。とっても難しかったんで、日本語の響きに近い英語を使って覚えました。例えば「どういたしまして」なら「ドーント・タッチ・マイ・マスタッシュ!」つまり「オレのヒゲに触るな!」これを速く言えば、「どういたしまして」に聞こえますよね(笑)
日本で、僕は生まれ変わった。
群馬で素晴らしい体験をしたから、日本にはもう1度来たい!と思いました。だからアメリカに帰ってからは、日常でも日本語をなるべく口にするようにしました。そうやって、日本に行くための準備をしていたんです。ホストファミリーと一緒にいた時、僕は自分が家族の一員になったような気持ちになりました。僕は一人っ子だし、両親は結婚せずに、僕はいつもお母さんとしか一緒にいませんでしたからね。だから家族の温かさみたいなものを感じたことがなかったんです。それはそれで良いんですよ。素晴らしい時間を過ごせたし、充実した少年時代を送れたと思っていますから。だけどホストファミリーの家にはお母さんがいてお父さんがいて、きょうだいが3人いて、そして僕。自分はこの家の子どもなんだっていう錯覚に陥りました。初めて家族の温かさに触れました。とっても思い出深い、僕の気持ちに突き刺さるような体験でした。僕は日本で新しく生まれ変わりました。新しい自分に生まれ変わったんです。
Interview by Hisa
初ステージは日本。
僕が初めて演奏した場所は、日本です。交流プログラムの一環で群馬に来た時、「サヨナラ・パーティー」っていうのをやったんです。そこではホストファミリーに感謝の気持ちを込めて、参加した学生全員がステージに上がって隠し芸を披露するというもので、200〜300人はいたと思います。当時は、僕は披露できるような芸なんてなかったんですけど、お父さんからギターをもらって弾いていたから、ギターを演奏することにしました。全然ダメでしたね。まだ弾き始めてから3〜4ヶ月しか経っていませんでしたから。
それでもステージに上がりました。この「サヨナラ・パーティー」で、僕は人前で初めて歌いました。全然ダメダメだったんですけど、僕が歌い終わった後、拍手の嵐でした。僕はひたすら感謝、感謝でしたね。彼らはお世辞じゃなく、僕の演奏を心から楽しんでくれた。あの瞬間は忘れられません。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
それまで味わったことのない気持ちでしたから、もう一度そういう気持ちを体感したい!って思ったんですね。たとえ英語で歌ったとしても、僕の気持ちはみんなに伝わった。僕は思いました。「音楽は、それ自体が言葉なんだ」と。どの言語で歌っても、音楽は一度流れ出したら自動的に翻訳されて、世界中の人たちに届く。僕は、心底ミュージシャンになりたいと思いました。
Dragon Ashの衝撃。
僕が日本人アーティストで一番最初に聴いたのはモーニング娘。でした。たくさんの女の子がいて、どれもそれほど歌が上手いわけじゃない。「何でこんなのが売れているんだ?」って不思議に思いましたね(笑)。おかげで日本に初めて来た頃は、日本の音楽なんて・・・って感じでした。でも、Dragon Ashに出会ってからは日本の音楽への印象が変わりました。『静かな日々の階段を』を聴いたんですが、「カッコイイ!」って思いました。ラップありポップあり、いろんなスタイルの音楽がミックスされていて、すっごくカッコよかったです。彼らのような音楽はアメリカにはなくて、日本独特のものだなって当時は思いました。
日本語を本格的に勉強して、日本語が理解できるようになってからは、Mr. Children(以下ミスチル)にハマりました。再来日してからカラオケに行った時、友人がミスチルの『優しい歌』を歌ったんです。それが本当に良かった。それでボーカルの櫻井さんが書いた歌詞を読んで、彼は本当に素晴らしいことを歌っているんだなって思いました。歌詞がすごく深いんですね。それが、僕が日本語で曲を作り始めたきっかけです。
日本語が大好き。だから日本語で歌う。
それ以来6〜7年、僕は歌を作っています。そして今僕は東京にいます。僕は東京で音楽活動をしたいんです。なぜなら作詞するのも歌うのも、日本語でやりたいからです。アメリカで外国語で歌うのって、本当に難しいし。
僕は日本語で歌います。それは日本語が大好きだから。日本語は、ひとつひとつの言葉がすごく詩的ですよね。あらゆる感情が一つの言葉や短い文章に凝縮されています。英語だと、みんな表現が直接的なんです。それは英語の良い所でもあるんですけどね。例えば「愛してる」だったら、みんな「アイ・ラブ・ユー」ってストレートに言っちゃう。だけど日本では、だれも「私はあなたが好き」なんて言わないですよね。樹木とか、天気とか、そういうイメージに絡めて自分の気持ちを伝えるでしょう。そういうイメージには何かしらの意味が含まれています。それが日本語の美しさですね。
僕は大学で古今集や万葉集について勉強しましたが、そういうイメージにあふれていて、すごく心を動かされました。例えば桜は春の風物詩ですが、桜という言葉だけで、人はいろいろなものを思い描きます。だから僕は、日本語の歌詞が大好きです。それがあって、僕は日本語で作詞をしているんです。
歌はイメージを越え国境を越え。
僕の中には2人の自分がいます。アメリカ人のネルソンと、日本人のネル(音流)です。アメリカにいる時は、自分はバリバリのアメリカ人。日本にいる時は、バリバリの日本人。でも正直、日本にいる時の方が素の自分になってます。日本にいる時の方が、アメリカにいる時よりも自然体でいられるんです。
僕は日本人には全然見えないし、完全にアメリカ人のルックスをしています。でもそんな僕が日本語で話し始めてから30分もすると、相手は「あれ、君はアメリカ人だったっけ?」って思うみたいです。それって気持ちがいいですね、僕自身が、僕のルックスとか相手に抱かせる印象を乗り越える瞬間です。そして国境をも越える瞬間です。そういうのを僕は大事にしたいし、そういう瞬間があるんだってことを、日本中に広めたいです。
アメリカ人だって全てが同じようなアメリカ人じゃないし、日本人だって皆それぞれ違う。だから僕は、いつかいろんな国の言葉で、世界中を歌って回りたいです。そしてあらゆる国の人たちに「コイツはアメリカ人だけど、オレと全く変わりないな」と思わせたいです。
僕は日本での生活を楽しんでます。すっかり自分の故郷みたくなっています。でも、他のいろんな所にも言ってみたいです。僕が今までに行ったことのある外国は日本だけ、だから自分が経験した国はアメリカと日本だけです。いろいろな国に行けば、それだけもっと成長できるでしょう。いろんな国の人たちと交わって、人間というものをもっと知りたいですね。
世界的なスーパースターになんて興味ない。
日本に来て最初の頃は、僕はカルチャーショックみたいなものを感じていました。日本人はとても礼儀正しいから、ちょっとでも人を傷つけるようなことは言いません。アメリカでは、自分が感じていることを素直に表現することは大事なことです。だから僕は時々、日本人が「それってちょっと失礼じゃない?」って思うことを言っていたと思います。でもそれってアメリカ人にとって自然のことなんですよね。相手を傷つけるつもりで言っているわけではなかったんです。今ではそういうことはありませんが、そんなわけで日本に来て最初の頃は、話し方に気をつけました。日本は僕が新たな自分に出会えた場所だから、自分の故郷として大事にしたい。だから日本人の人たちとも誠意を持ってお付き合いをしたいです。
もし皆さんが世界的に有名になりたいのであれば、ロサンゼルスとかハリウッド、ニューヨークに行くべきです。でも僕自身は、世界的なスーパースターになんて興味ないです。僕は自分のやりたいことをやっているだけで、それが日本語で歌うことなんです。だから僕にとってのベストの場所は、東京です。僕は外国語を勉強する人たちの良きお手本になりたい。「一生懸命頑張れば、きっとできるようになるよ」っていうことを、歌でだけじゃなくて行動でもお伝えしています。
歌詞に関して言えば、僕は一貫して「平和」への思いを伝えています。そして、どこの出身であれ、僕らに違いなんてなくて、同じ人間なんだってことですね。それが僕のテーマです。
詞は音よりも大切。
僕は、詞は音よりも大事だと思っています。歌う人が上手であれ下手であれ、その人が歌う内容が素晴らしければ、聴く人の心を打つんですよ(*音声ではカットしていますが、ネルソンさんは例としてSMAPの『世界に一つだけの花』を挙げています)。そして日本の音楽を正しい方向に導くものでもあります。だから個人的には、詞が音楽を左右するんだと思います。そしてその曲が長い間人気を保ち、人々への影響力を持続できるかどうかも、詞にかかっていると思います。
現実的なことを言ってしまうと、日本人アーティストはヨーロッパやアメリカのアーティストには勝てないでしょう。それは言葉の壁があるからです。英語はほぼ世界共通語です。だからたとえ日本人が英語を理解できないとしても、英語の曲をイイと思って聴くんです。でも、その逆はあり得ません。音楽好きのアメリカ人でも、歌詞が日本語だとわかれば聴かないでしょう。何を歌っているのかわからないわけですから。そういう意味では、アメリカ人は寛容ではないです。だから日本人アーティストがアメリカに行って日本語で歌って、しかも売れるっていうのは、極めて難しいと思います。
だけど個人的には、日本語の歌詞というのは洋楽の歌詞よりも全然上です。それは日本人アーティストのテクニックにも同じことが言えます。日本人アーティストのライブやコンサートに行くと、彼らはCDにできるだけ近い形で歌おうとしているのがわかります。
「キミの歌はひどいね」
僕が東京に来た頃は、日本語を勉強して国際的なビジネスマンになれるかもしれない、なんていう甘い期待を抱いていました。だけど時が経って、音楽活動により真剣に取り組むようになりました。ミュージシャンになりたい!って強く思うようになったんです。留学生として日本に来て、慶応大学に行って、それからインディーズレーベルからスカウトされました。さあこれで、オレもロックスターだ!って思った矢先、レーベルのスタッフが一言「キミの歌はひどいね」。
すっごくショックでした。だって、もっともっと自分はイケると思ってましたから。でも僕の歌声がそんなにも良くないんだったら、プロのミュージシャンになるという夢をいっそあきらめようか、とも思いました。僕よりも上手い人なんてゴマンといるわけですしね。
東京に来る前は、「オレは絶対に日本で成功できる!」って思っていました。日本語が話せる、日本語が書ける、日本語で歌える・・・それって外国人としてはすごくユニークだと自負していましたからね。だけど現実はそんなに甘くない。でも僕がYouTubeで「1コーラスシリーズ」を始めてみて、自分にはたくさんのファンがいるんだってことを実感しました。だから、まだ成功への望みを捨てていませんよ。
大いなる賭け。
今年は勝負の1年です。戦いの年です。僕のビザの有効期間はあと1年しかありません。でも僕には、英語の先生を続けながら音楽活動をする以外に、日本での滞在資格を保持する術がないんです。それってすごく難しい。両方ともバランスよく、なんてできません。どっちかに集中したいです。
僕はミュージシャンになりたい。だから、数ヶ月のうちに英語学校を辞めて、100%音楽に集中しようと思います。そうしたところで100%成功するなんていう保証はどこにもないですよ。だから、もしミュージシャンとして成功できなくて、しかもビザも保持できなくなったら、今年の11月にはアメリカに帰らなくてはなりません。だから僕は今年、とにかく全力を尽くして僕の音楽を人の心に刻みつけていきます。上手くいくことを願っています。
シンガーソングライターなら、アマやプロなんて関係ない。
レベルの高いアマチュアミュージシャンと、プロのミュージシャンの間には、高い壁が存在します。プロのミュージシャンでいること、それはつまり、完璧な演奏テクを持っているということです。だからアマとプロの壁はすっごく高いし、プロへの道はすっごい競争の世界です。
僕は15歳の時に歌い始めたわけで、それからまだ6〜7年しか経っていないんです。しかもボーカルレッスンとかを受けたことがありません。だから明らかに人よりも遅れをとっています。プロとしての形は全然出来上がっていなくて、人から楽曲を提供されるなんてレベルには全くなっていないわけです。
でも、シンガーソングライターという分野なら、アマとかプロなんて関係ありません。その人の作った音楽が全てで、それでいかに人の心を打つかが全ての世界ですからね。そして僕には「1コーラスシリーズ」のファンがたくさんいます。このシリーズを通じて、自分には聴く人の心に訴えるだけのものを持っていると確信しました。彼らを通じて、僕の歌声や歌が人の心を動かすことができているんだと感じました。
僕の歌で泣いてくれる人がいる。
ファンの方々は、僕の歌を本当に楽しんでくれています。時には「あなたの歌を聴いて泣いちゃいました」というふうに言ってくれる人もいます。こういう人たちがいるから、僕は歌い続けていられるんだって感じます。人の心を打つ何かがあるんでしょうね。シンガーソングライターは、演奏テクよりも何よりも、とにかく全力を尽くすことが一番です。そしてファンがいてくれることが大事です。
プロのシンガーとかプロのギタリスト、作詞家になるには何年もかかります。でも全力を尽くしていけば、僕には心強いファンの方々がいてくれるから、壁は自然と崩れていくでしょう。そして自分の信じる道を走り続けて、成功を手にできる・・・そう信じています。
僕が出来るくらいだから、みんなも出来る。
僕が日本で実現させたいのは、"一生懸命やっていれば、きっと目標に到達できる"ということを皆さんに示せるようになることです。それが僕の究極のゴールです。僕が音楽業界にいるのは、そういうことを示すためなんです。世に出て人々に「僕は日本で生まれたわけじゃなくて、小さい時から日本に住んでいたわけでもない。16歳で日本語の勉強を始めたに過ぎない。だけどいろんなものを、短い間につかみ取ってきたんだよ」っていうことを示したいです。僕はロールモデル、良きお手本になりたい。僕を見た人たちが「アイツに出来るんだったら、オレにもできるぜ」って思ってくれたらいいなと思います。それが僕の究極の夢ですね。
ネルソンさんのバンド「nothing ever lasts」

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