2008年8月12日(火)
#19 ベルアザニ・ラクダールさん
「めん処 蕪庵」店主
(1988年に来日)

自分を殺して殺して殺して、
やっと道が開けてくる。
でないと、オレみたいのが
簡単にそば屋できないって。
アフリカはアルジェリアご出身のそば職人、ベルアザニ・ラクダールさん。「ジン」という愛称で親しまれています。
今、ダイナミックに変貌を遂げる川崎・武蔵小杉で、ただひたすらに16年、そばを作り続けてきました。ジンさんのおそば屋さん「めん処 蕪庵(かぶらあん)」があるのは昔ながらの下町エリア。外国人に人気の六本木や表参道とは全く違う、ローカル色が濃いエリアです。皆さんの地元の商店街をご想像ください。そのような場所で、いかにして外国人が自らの職人道を貫き、地域に溶け込み、自分のお店を続けてきたのか。おそばのように細く長く、でもコシがあって読み応えのあるニッポン滞在記、是非ご覧下さい。
*インタビュー@ めん処 蕪庵(川崎市中原区)
* ベルアザニさんの商売哲学を知りたい方は、こちらをクリック!
English
それまでフランスで付き合ってきた日本人とは完全に違っていて、本当に辛かった。
もともとはアルジェリアで生まれて、その後にフランスに行ったわけだけど、計算すると僕は日本が一番長いんですよ。日本にはもう20年だから。
アルジェリアには中学までで、高校に入ってからフランスに行ったの。僕が10歳の頃には父親がフランスで商売してたし、もともとアルジェリアはフランスの一部だったら、国が独立してからも僕はアルジェリアとフランスの両方の国籍を持ってたの。僕が生まれた時は、アルジェリアはまだ独立していなかったから、フランスに行くというのは、東京から北海道に行くぐらいの感じ。近いからね。飛行機で1時間くらいだから、週に2〜3回くらいは出入りしてた。フランスでは、僕は高校の時はマルセイユに住んでいて、大学はパリだった。
フランスでは7年間、日本人と一緒に仕事していたわけだけど(詳細はこちら)、向こうの日本人とこっちの日本人は全然違う。最初に日本に来た時は、人間の冷たさ・・・こっちから友達になりたい、声をかけたいと思っていても、言葉の壁なのか外人を初めて見るのかわからないけど、本当に冷たかった。それまでにフランスで付き合ってきた日本人とは完全に違っていて、「同じ日本人なのに何でこんなに違うのかな」って思った。
オレの顔を見た瞬間、ドアを閉めて中に入っていった。
当時、奥さんとアパートに住んでいたんですよ。昔のアパート、洗濯機が外に置いてあるような。それで隣の家族が洗濯している時に僕らが買い物から帰ってくると、オレの顔を見て子どもを連れて中に入ってスパーッとドアを閉めて中に入っちゃう。隣同士だよ。オレが「こんにちは」とか「おはようございます」って言う前に、自分の子どもを中に入れてドアを閉めるんだけど、小さな隙間からオレたちのことを見てる。「こういう人間がいるんだよな〜」って。皆が皆そうじゃないけど、正直、辛かった。
関係を一歩進めたいのに、向こうが完全にシャットアウトする。本当に辛かったもん、僕の支えが奥さんと、奥さんの弟だけだったから。奥さんも5年間フランスにいたから、彼女も日本に帰ってきてから日本人の冷たさとかオープンになっていない部分が分かってた。だから「みんながそんな人ばかりじゃないよ。気にしたってキリがないよ」って。自分には自分に向いている人間がいるから、そういう人たちに向かっていけばいいじゃない・・・「それもそうだな」って。まあ職場の仲間もいたし、家族もいたから隣のことを気にしたってしょうがないかな、と。
武蔵小杉駅近くの商店街
「ここは日本だよ。相手は日本人だよ」って自分に言い聞かせていた。
向こうに住んでいる日本人はもうヨーロッパ風で、オープンになってるんですよ。それがこっちでは、言葉は悪いけど島国っぽいというか・・・特に20年前に日本に来た時は外国人がそんなにいなかったし、日本人が外国人を見た瞬間にビビっちゃう。例えばどこかのお店に食べに行った時も、店員さんどうしが「アンタ行ってよ」ってささやき合ってる(笑)僕は「お願いだから、大丈夫だから来てよ」って(笑)店員さんが「プリーズ、プリーズ、待ってて下さい」って言うから、僕は「いいよ日本語で。日本語できるから」って。
だから最初は結構辛かったっていうか、それまで付き合っていた日本人とは全然違うんだよね。言葉遣いにしても向こうの日本人は、赤は赤、白は白ってハッキリしてた。だから「今まで付き合ってた日本人は何だったのかな?」って(笑)。
こっちの日本人は、例えば作業の次のステップに入る時に、それまでの問題が解決していないのに「まあまあ、しょうがない、いいよ」って言う。だから自分で自分をダマさなくちゃいけなくなる。一方で日本人は僕のことを理解できなくなる。「外人はこんなにキツいのかよ!こんなにシツコイのかよ!」って。だけど何で赤がピンクになったりオレンジになったりするの?僕にとっては赤は赤、白は白だよ。
向こうの日本人は、解決策を出してた。ヨーロッパ人のやり方を踏襲してた。でもこっちでは、自分のことを殺さなくちゃいけない。僕は自分が外人なんて意識は無いんだけど、日本人である相手に合わせないと、辛くなるのはオレだから、「ここは日本だよ。相手は日本人だよ」って言い聞かせる。合わせないと付き合ってくれないから、とりあえず相手を理解できるようにしなくちゃいけない。
だから日本にいる外国人が「日本人は冷たい」とか「受け入れてくれない」ってよく言うけど、日本人だからそうなんじゃないんであって、よその国にも全く同じ人間がいるよ。だから、いかに自分で入り込んでいかなきゃいけないか、なんだよ。
相手にある程度合わせたり、相手を理解すれば、生きやすくなる。
でも僕も日本に長くいるから、自分が外人であることを忘れてる。夢も日本語で見るし、ふとんに入って次の日のことを考える時も「魚河岸に行って、出汁を温めて、あれやってこれやって・・・」あれ、オレは何人なのかなって(笑)。向こうの言葉が出ない。自然に日本語になってきているから、日本語を話してて疲れるとか、違和感を感じるということは全然無い。
だから日本人が厳しいとか冷たいという外国人はいるけど、皆が皆そうじゃない。そういう人間もいるんだけど、いかに自分で人間を見極めていくか。そうしないと、独りぼっちになっちゃう。相手にある程度合わせたり、相手を理解すれば、正直言って生きやすくなる。逆にお互いを理解しないと、結局離れていっちゃう。
だから1回外に出れば、自分の姿がわかる。正直、今の自分もそう。向こうで生活していた時は分からない、自分のことなんか。実際にこっちに来て、20年生活してきて、自分の姿がわかる。
日本でしか生活したことがない日本人は、この文化やこの生活スタイルしかわからないから、いくら話しても理解できない。だからこちらからその人に合わせてあげないと付き合いができなくなる。
実際、日本人にしても外国人にしても簡単じゃない。自分を殺して殺して殺して・・・やっと道が開けてくる。でないと、オレみたいのが簡単にそば屋できないって。
隣の人と挨拶を交わすのに、10年かかった。
この辺の人からは「よくお店が長続きしてるね」って言われる。大きなお世話だよ(笑)だけど結構この辺はお店の移り変わりが激しい。なぜなら街に魅力が無いから。変わった店とか若者が買い物する場所とか全然無いから、みんな値段が安い別の商店街に行くか、駅前のマルエツに行くぐらいで、この辺はただの通り道。だから皆から「よくやってるな」って言われる。でもそれは、遠くから来てるお客さんもいるから、生活が成り立ってる。もし地元のお客さんだけだったら、とっくのとうに辞めてるよ。遠くからわざわざ来てもらっていることへの感謝の気持ちを忘れないでやるしかない。味も落とさないようにね。
隣の人なんて、挨拶できるようになるまでに10年かかっているから。お店の裏にガスと水道のメーターがあるんだけど、隣の人が「悪いんだけど、この通路はオレの土地だから、歩いてほしくない」って。オレが通るんじゃないんだよ、でも東京ガスの人は通路に入らなきゃいけないじゃん。しょうがないから東京ガスの人に相談したら、「日本人はみんながみんなそういう人間じゃないからね、お兄ちゃん。良い人もいるよ」って。それでわざわざメーターを見なくていいように自動計測にしたんだけど、とにかく隣の人と挨拶できるようになるまで10年かかった。僕は自分が外から来た人間だという意識があるし、ここで商売しているから、ブチ切れたらオレの負けだと思った。毎日通りに水をまいて、隣の人にも挨拶をして・・・そして10年目にやっと向こうから「おはようございます」って返事を返してくれた。
やっと一歩進んだ。そして12年目に、その人が孫を連れてウチの店に食べに来てくれた。それで16年たった今はお互い笑顔だし、月に1回くらいは食べに来てくれるし・・・そういう人間ともお付き合いしなくちゃいけない(笑)
本当に、よくこんな下町で16年も生活させてもらってるな、と思う。正直嬉しい。
*撮影:林隆太
ジンさんにとって、日本って何ですか?
第2の故郷。
故郷を離れて20年間やってきた。ここまで自分の力を吐き出して、その結果がこのお店
しかないけど、でも満足してますよ。
完全に自分の心の落ち着く場所にいるから、いいんじゃ
ないかな。そしてもうひとつ上のステップを頑張って
踏めればいいんじゃないかな。
ベルアザニさん関連リンク
めん処 蕪庵(日本語): http://www.geocities.jp/bel_kaburaan/

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