Tokyo Rocks You #6 ウィンチェスター・ニ・テテさん

Tokyo Rocks You

音楽のない東京なんて。

2008年10月11日(土)

#6 ウィンチェスター・ニ・テテさん

クリックして熱いビートを感じよう!

アフリカンパーカッショニスト
(2004年に来日)

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日本は安全な国。
でも平和を感じられない。


ガーナから来たスーパーパーカッショニストをご紹介します。
ウィンチェスター・ニ・テテさんとは、AP通信東京特派員である影山優理さん(インタビューはこちら)のポエトリーリーディング・ライブで出会いました。ニ・テテさんは影山さんが詩を朗読している間、ひたすらバックでパーカッションを叩いていました。彼の両手から繰り出される音を聴いた瞬間、「すごい!!」以外の言葉が見つかりませんでした。本当に、そのサウンドに圧倒され、彼のパフォーマンスにくぎづけになりました。彼の演奏は「芸術」の真髄だと感じ、ニ・テテさんそのものに興味を抱きました。*ここをクリック!アフリカンビートを体感して下さい。
ローマは一日にして成らず・・・ニ・テテさんはガーナの伝統打楽器「パンログ」に5歳の時に触れ、それ以来パンログ一筋20年余。一切の追随を許さないテクニックを身につけました。
私は彼の音が好きなのはもちろん、彼の笑顔も大好きです。彼はドラムを演奏している時も笑っています。彼は他のミュージシャンと演奏するのが本当に幸せのようです。ニ・テテさんはこの異国の地で、「笑顔」という持って生まれた魅力でもって、生き抜いてきた。そう私は思います。

*インタビュー@ライブハウス「鈍我楽」(杉並区阿佐ヶ谷)

*翻訳協力:NPO法人セカンドスペース



English



日本のテレビ番組。

僕が日本に来る前の2002年、ガーナで「ウルルン滞在記」(TBS系)という日本の紀行番組の制作に関わっていました。うちの家族と長い付き合いになる日本人の友人がコーディネーター兼リサーチャーとしてその番組に携わっていて、彼女が僕らを日本のテレビクルーに紹介したのです。番組では日本人俳優の柏原収史さんが我が家に一週間滞在し、ドラムやガーナの文化について学びました。
その番組が日本で放映される以前にも、おおぜいの外国人が我が家に来てドラムを買ったり演奏を習ったりしていました(*彼の一家は自分たちでドラムを作っていた)。しかしその大半は欧米人で、日本人の数は少なかったですね。
僕も我が家を訪れた日本人から日本について教わりました。日本はガーナから遠く離れていますし、僕らが抱く日本のイメージは本物のそれとは全然違っていました。僕は彼らに「どんな食べ物が好きなの?」など、たくさんの質問をしました。彼らはだいたい「お寿司が好き」と答えましたが、僕の国ガーナでは生の魚は食べないんですよ。
僕が出演した番組が放送された後、多くの日本人が僕らの家にやって来ました。そしてある日、一人の日本人女性がやって来ました。それが今の妻です。僕が彼女にドラムの叩き方を教えているうちに、僕らは恋に落ちました。そんないきさつで、僕は日本に来たんです。

IMGP8982.JPG ガーナの伝統的なドラム「パンログ」


学び、働き、そして音楽の日々。

僕はガーナで時々、日本のコマーシャルやテレビ番組を目にしました。それらの印象から、日本人はとても背が低いと思っていたんです。それに大地震の話も恐かった。しかし実際は日本人でも非常に背が高くて、ガーナ人よりも身長がある人もいるくらいです。それに阪神大震災が起きたのはずいぶん前のことだし、恐れるほど頻繁に大地震が起きているわけではないですよね。
日本人女性と結婚して僕はここに来たわけですが、実を言うとドイツかアメリカに行って一家で音楽を演奏しようと考えていたんです。家族の中には、その国に住んでいる者もいましたから。日本に来たくなかったという意味ではないですよ。ただ日本に来ることは僕にとって思いもよらないことだったんです。日本に来たのは家族の中で僕が初めてです。日本では一人でしたから、暮らすのは容易ではなかったですね。
日本に来たばかりの頃は、誰かと一緒に演奏したいと思っていました。しかし実際は知り合いが誰もいませんでしたし、どこに行けば他のミュージシャンと会えるのか全くわかりませんでした。
しかしそれ以前の問題として、どこかの会社に入って働かなければなりませんでした。働くためには、日本語を学ばなくてはならない。それで6〜8ヶ月間は働けず、その代わり無料の日本語教室に入って「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」「お元気ですか?」みたいな全くの初歩から日本語を習いました。
それから少しでも稼ぐために工場で働き始めました。ドラムを演奏する時には4つも5つも、あるいはそれ以上のドラムを一度に使います。電車で運ぶのは無理なので、車を借りる必要がありました。それでお金が必要だったんですね。
だけど工場で働くのは、きつかったですね。朝の9時から夜9時まで週6日働きました。大きな工場で、家から20キロほど離れた高尾にありました。休みは日曜日だけ。そこで4年間働いたんです。
ドラムの練習は家の近くの公園でやりました。日本に来てからの1年半は、僕一人だけで演奏していました。やがてある人と出会いました。私の叔父のガールフレンドです。私の叔父は10年ほど前に、和太鼓グループの『鼓童』と共演したことがありました。叔父は日本にガールフレンドがいたことがあり、その人と知り合いになったんです。彼女がジャズ・ミュージシャンたちに僕を紹介をしてくれて、それで彼らとの共演が始まりました。その後、叔父のガーナの家に1年間滞在していた日本人男性と出会いました。僕は彼にガーナ音楽を叩き込みました。それから彼は僕の仲間としてサポートしてくれるようになり、ライブハウスでの演奏を始めることができました。少しずつですが、私は日本での音楽活動を始めたんです。
当時僕は車がなく、2つか3つのドラムを台車を使って運びました。台車にドラムをくくりつけ、横浜や東京の都心も電車で行きました。行く先々で、観客が僕のプレイを見て「こいつはすごい!」とびっくりしたようです。たくさんのミュージシャンにも出会いました。日本人だけでなく、ジャズやソウルミュージックをやっているアフリカ人やアメリカ人もいました。ブラジル人とか、あと日本人でラテンミュージックをやっている人にも出会いました。

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(写真左)経験豊かでソウルフルなボーカリスト、ロビンさん。
まるで掛け合い漫才のような2人のMCで客席は笑いに包まれるも、
一度演奏が始まると、観客は熱狂の渦に叩き込まれた。


あの俳優との再会。

僕はガーナでも都市部の出身ですから、東京に住むのは平気です。故郷と東京に大きな違いは感じません。ガーナにも渋谷みたいに活気のあるエリアがあります。
でもホームシックになったんです。日本に来て5ヶ月ぐらいたった頃、ガーナに帰りたくなりました。でも働いていた工場で、僕は数人のガーナ人に会えました。彼らと友達になったことで、ようやくリラックスできました。けれどそれ以前は孤独も感じましたね、ガーナ人はもちろん日本人の知り合いもいませんでしたから。妻と、ガーナでテレビ番組制作の時に出会った俳優、柏原収史さん以外には。
柏原さんの電話番号を調べましたが見つけることはできず、約2年間連絡が取れませんでした。
ある日、柏原さんがテレビのトーク番組に出ていました。司会者が僕たち視聴者に、柏原さんへメッセージがあればお送り下さいと言ったのです。それで僕は番組に宛てにファックスを送りました。「ニ・テテです。今日本にいます。これが僕の電話番号だから、電話を下さい」って。
その2日後に、柏原さんから電話がありました。「ファクス受け取りましたよ!」って。お互いに会いたいと思ったのですが、彼はその頃は忙しく、「会える時まで待っててね」と言っていました。でも、とうとう会えたんです。柏原さんはすごく驚いていて、どうして日本に来たの、と聞かれました。だから僕は「君の後を追いかけて来たんだよ!」って言ったんです。

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人々が伝統的なものを忘れていくのは自然のなりゆきです。

ガーナ人の友達ができてからは、居心地が良くなりました。お互いの家も行き来するようになり、僕は日本で音楽活動を始める時が来たと思ったのです。そしてもっと多くのミュージシャンと出会いたいと思っているうちに、故郷に帰るのを忘れていったんです、ホームシックもなくなりました。でも時々ガーナの家族には電話しますよ。今は大丈夫ですが、時々故郷が少し恋しくなる時があります。昨年、3年振りに初めて里帰りをしました。来年も帰るつもりでいます。正直、年に一度は帰りたいのですが、難しいですね。ガーナは日本からかなり遠いし、行き来するには高くつきますから。
音楽活動を通じて日本の人々にガーナ音楽を伝えていきたいです。彼らにガーナの伝統的なドラムを紹介したいと思っています。そしてたくさんのプロのミュージシャンと日本で共演したいです。あらゆる分野の音楽、たとえば和太鼓ともセッションしてみたいです。
人々が自分たちの伝統文化を忘れていくのは自然のなりゆきです。ガーナ人でも、自国の文化を知らない人はいます。ヒップホップやソウル、またはクラシックのような西洋音楽しか聴かなくなっているんですね。一方で日本にも自分たちの伝統音楽を守ろうとしている人々がいますが、彼らは伝統に固執しません。ヒップ・ホップやジャズのような西洋の音楽について学ぼうとします、演歌を聞く代わりにね。僕もまた伝統音楽を守っていますが、あらゆる種類の音楽を聴いて刺激を受けたり、それらの持つリズムから多くを学んでいます。だから僕はいろんなジャンルのミュージシャンと共演したいんです。私と共演したいと思っていただけるなら、どんなミュージシャンも大歓迎です。

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僕は納豆と寿司と、殺しあいをする人たちが嫌いです。

日本は安全な国です。殺人事件があっても、まだまだ安全です。ガーナでは日本のような不条理な殺人事件は起きません。
それでも日本は治安のいい国です。真夜中でも外を歩くことができるんですから。ガーナもかつてはそうでしたが、今は無理です。深夜に出歩いても大丈夫な場所もありますが、未だ危険な地域も存在します。
日本で僕が嫌いなものは、納豆と寿司はです。生の魚もガーナでは食べません。それ以外の嫌なものと言えば、僕が日本語が全くしゃべれなかった頃に何を尋ねても人から無視されたことです。もちろん全ての日本人がそうだったわけではありませんが、そういう日本人の気質が大嫌いです。何を質問しても、その人たちは返事をしてくれず、ただ「わかりません」と言うだけでした。だからでしょうか、日本人と友達になるのは、簡単ではありませんでした。僕らガーナ人は、お互いすぐに仲良くなれるんですけどね。
あとその人自身のストレスが原因で他人を殺す、なんてことも大嫌いです。大阪で起きた殺人(*2008年10月1日、個室ビデオ店の放火で16人が亡くなった)のようなね。とにかく誰かが誰かを殺すということが大嫌いなんです。
日本は安全です。警察もさっと犯人を捕まえてくれます。しかしガーナ人はお互いに殺しあったりなんかしません。ガーナは日本ほど治安が良くなくても、平和がちゃんとあるんです。日本は平和を取り戻さなければなりません。日本は安全であっても、そこに平和を感じられないんです。


IMGP9041.JPG「鈍我楽」にて(2008年10月11日)


ニ・テテさんにとって、ドラムって何ですか?

ドラムは僕の人生ですね。

ドラムを叩くことは、僕が神様からもらった才能だと思っています。

ドラムは僕の全てです。

1日10時間だってドラムを叩くことができます。日本にいてもガーナにいても
アメリカにいても、どこにいようと僕はドラムを叩きます。

だからドラムというのは、僕の全てなんです。


ニ・テテさんにとって、日本って何ですか?

日本語が話せなかった頃は、日本が大嫌いでした。

誰かに何かを尋ねても、誰も僕の話を聞いてくれなかった。けれど少しでも日本語ができる
ようになったら、話を聞いてもらえるようになりました。そして助けようとしてくれた。
これが日本の好きなところですね。

日本人は心の底から、人を助けようとしてくれます。


ニ・テテさん関連リンク

ホームページ (日本語):http://www.niitete.net/


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