2009年4月29日(水)
#22 バリシュク・ヴィクトリアさん
ベラルーシ家庭料理レストラン「ミンスクの台所」店長
(2001年に来日)

自分たちが生み出したお金で
いろいろできる。だから
「生きている」って感じます。
ものすごく良い気持ちです。
大変ご無沙汰しておりました。約半年間、「My Eyes Tokyo」書籍版の出版作業にかかりきりでした(本の詳細はこちらをクリック!)。今後も精力的にインタビューをしていきたいと思っておりますので、今後とも宜しくお願いいたします。
さて今回ご紹介するのは、東京・六本木でベラルーシ料理のレストラン「ミンスクの台所」を経営しているバリシュク・ヴィクトリアさんです。とてもきれいな日本語を話します。だけど、ただ物腰が柔らかいだけじゃない。非常に力強い目をしています。
経営者として、一人の女性として、また母として、故郷から8000キロ以上離れた異国の地で生きてきたヴィクトリアさん。未知なる世界への挑戦と、次から次へと降りかかる難題との格闘が、彼女に揺るぎない強さを与えたんだと思いました。
* インタビュー@ ミンスクの台所(東京都港区麻布台)
* ヴィクトリアさんの経営するレストランについて知りたい方は、こちらをクリック!
English
日本にはチャンスがある!
私が日本に来たのは、「ミンスクの台所」開店のちょうど1年前でした。私の姪がすでに日本に来ていて、日本人男性と結婚していました。彼女にしてみても、同郷の人が近くにいると生活しやすいということで、私にも日本に来てほしいと思っていました。日本にはチャンスがいっぱいあるからって。
ベラルーシは政治状況が良くなかったから、私の学生時代の同級生などがどんどん外国に出て行きました。アメリカ、カナダ、オーストラリア、ドイツ・・・だから私もどこか外国、とりわけヨーロッパのどこかの国に行きたいと漠然と思っていました。
実際に日本に行こうと決めたのは、姪がこちらに来てからでした。それまでにベラルーシで接した日本についての情報といえば、桜とかお祭り、新宿の高層ビル、銀座の高級ブランド品店、車、時計などでした。日本は特別な国で、お金持ちばかりの国なんだろうという印象でした。
でもその後に姪から聞いたのは、日本人だからと言って皆がみんなお金持ちなわけじゃない、いろんな階層があって、中にはギリギリの生活を強いられている人もいる。だけど中産階級がすごく多い。外国人でも言葉や文化を勉強すればその層に近づけるし、割と良い生活ができる、と。
日本はベラルーシと文化的に全く違う国だとも彼女は言いました。それに日本人とヨーロッパ人はすごく区別されていて、私たちはどんなに長く日本に住んでいても日本人にはなれない。そういうことを聞きましたね。でもそういう環境の中でも、自分にとって住みやすい場所を作ればすごく心地良い。いろいろと便利だし、おいしいものやキレイなものがたくさんあるし、働きたい人にはその機会が与えられるんだ、と。
やらないで後悔するよりも、やって失敗した方がいい。
日本に来る前は、私は飲食店で働いた経験はありませんでした。アルバイトの経験すらないです。家族経営の小さな飲食店をベラルーシで作りたいとは思っていました。料理を作ったり食べたりするのは昔から好きでしたから。ただ小さいお店を開くことは向こうでは法律的に難しかったんです。
でも日本に来た時は飲食店を開こうという考えはありませんでした。日本の言葉や文化を勉強しながら、日本にこのまま居続けるかベラルーシに帰るかを考えました。
日本語学校のクラスメイトには、日本で飲食店をやりたいという人が結構多かったです。でもそれは、経済的に自分にはまだ無理だと思っていました。
ある日、友人が主宰しているロシア関係のNPOの集まりに行きました。そこで今の社長と偶然出会ったんです。彼はロシア語の通訳を探していました。それで私が通訳を担当することになったんですけど、日本語の勉強を始めたばかりだったから、全然うまく通訳できませんでした。
でもその時社長に聞かれたんです。「これからどうするの?」と。私は「どうするか分からないけど、とにかく自分の力で何かやってみたい」と言いました。そこからベラルーシの家庭料理のお店の話が出てきたんです。
それからすぐに社長がお店の物件を見つけてきた。知り合いがそこでお店をやっていたんだけど、うまく行かなくて閉めることになったって。あまりにもスピードが早くてビックリしました。社長のことも分からなかったし・・・でも社長は「これはあなたにとってチャンスですから。今夜一晩考えて、もし無理だったら明日言って下さい」と。すごく悩みました。家族にも電話しました。母は「そんなことはやめて帰って来なさい」というばかりでした。
でも私は、これは本当にチャンスかもしれないと思いました。もしそのチャンスをつかまないであきらめたら、ダメな人間で終わってしまう。やらないで後悔するよりは、やって失敗した方が良い。だから私は社長に「やります」と言いました。
「死んでもいいよ」
開店してからの2〜3年は、私に限らず社長も従業員も、みんな大変でした。開店当初は赤字です。最初の1〜2ヶ月はお客さんが少なくて、社長よりも私の方がパニックになりました。社長は言いました。「まずはちゃんと仕事をしなさい。料理をおいしく作って、売れなかった料理はメニューから外しましょう。お客様のことを考えて新しいメニューを作ったり、エンターテインメントの要素を取り入れる。そうすれば口コミで人に伝わっていく。キレイに仕事をしていれば、人は来るから」そう私に何度も教えてくれました。
自分が出したお金だったら失敗してもいいけど、他の人が私にお金を出してくれたということは、私に期待してくれているということじゃないですか。投資した人にとっては、ビジネスがうまくいってほしいんです
開店したばかりの頃、1日で14万円の売り上げを出したことがありました。閉店した時はすごく疲れて、床にへたり込んでしまいました。でも14万円の売り上げって我ながらすごいと思ったから、次の日、社長に電話しました。「もしもし、昨日の売り上げを見ましたか?」社長は「何?」と素っ気ない返事。「昨日の売り上げ、すごいでしょう?」すると社長は「あれをすごい売り上げだと思うようなら、明日店を閉めます。”すごい売り上げ”は、昨日の倍ですよ」
私は驚きました。「えー!?死んじゃいますよ」社長は「死んでもいいです」の一言でした。
月によっては売り上げが上がるけど、また下がる。それを繰り返しながらだんだん売り上げが伸びていきました。それで開店3年目、突然忙しくなりました。その年の2月に、売り上げが跳ね上がったんです。その理由ははっきりしないんですけど、要は、初めの頃は無駄な動きが多かったというだけの話なんです。それを克服していきながら、料理の置き方や出し方を研究しました。今は、当時の倍以上は普通に売り上げを出せるようになっています。私はビジネスを頭じゃなくて体で覚えていったんです。
まだまだパーフェクトじゃないですけど、「生きている」っていう感じがします。自分たちが生み出したお金でいろいろできる。社長が投資したお金をどんどん返していっている。投資してくれたお金は、今年で全額返済できます。ものすごく良い気持ちです。
ロシア人歌手のエカテリーナさんと。エカテリーナさんは
毎週水曜日の午後6時半から店内でミニライブを開催しています。
*エカテリーナさんにもインタビューしました。詳しくはこちらをクリック!
日本人にはプライベートのことまで話せる人がいないんです。
日本は、特に西洋人にとっては全くの異国だし、外国人のままでいるしかないとつい思ってしまう。でもそれじゃダメだと私は思います。日本の文化を勉強して、理解する。どうしても理解できないところには固執しない。「日本人ってなんでこうなんだろう、イライラする!」と言う人がいますが、日本ではそれが当たり前。逆にその人の国で当たり前のことに対して日本人はビックリするかも知れない。だから、イライラするようなことは見ないようにしています。
一方で、自分の国の文化も忘れない。日本の人たちに私たちの文化を伝えることが、ビジネスにもつながってきます。自分のアイデンティティを保ちながら、日本で住みやすい場所を確保することが大事です。
でも、そう言う私も日本人とはなかなか友達になれません。今でもです。何故なら日本人がいう「友達」と私たちの言うそれは違うからです。私たちにとっての「友達」とは、プライベートのことまで全部話せる人です。隠し事なしです。一方で日本人は自分のプライベートを隠そうとするから、それが壁になります。友達というからには、私たちはその隠されている部分を知りたいんです。
そういう意味で、私には日本人の友達はいません。知り合いはいますよ。このお店の常連さんにも、カウンター越しに私の年齢とか家族のことなど、自分のプライベートのことを結構話しています。でもお客様はそこまでオープンにはなりません。冷たいとまでは言いません。文化の違いです。だからどうしようもないですね。
日本の文化を尊重することは、今の仕事にもつながってきます。日本人のお客様に対しては、一人一人がお料理を注文するのではなく、何か一品大きなお料理を頼んでそれをみんなで分けることをお勧めした方がいいかな、とか、もし分けにくかったら私が切って分けてあげるとか。
お客様によってはベラルーシのことをお話しすることもありますし、もしそれを必要としないようなら、邪魔しない。テーブルごとに接し方が変わってきます。それはこの店のホールを担当している人はみんな実践しています。しつこくない程度に、少しずつベラルーシの文化を紹介するようにしています。
困難にぶつかりながら言葉を覚えた。
お店を開店した時は日本人が一人しかいませんでした。その人が主にお店にかかってくる電話を受けていたんですが、その人が辞めてからは私しか電話に出られる人がいませんでした。他の人はあまり日本語が上手じゃなかったですから。
電話が一番難しいです。怖かったですよ、相手の口の動きが見えないですからね。それに電話で一つでも言葉がわからないと、相手の言っていることを正確に把握できません。だから私は電話に出たら正直に相手に言いました。「すみません、実は私は日本人ではないので、まずはゆっくり話して下さい。それから複雑な尊敬語は使わないで下さい」。その上で、その電話が予約の電話なのか広告掲載をお願いする電話なのかを確認しました。それでもどうしても分からない場合は「すみません、本社に連絡して下さい!」(笑)。
迷ったお客様をちゃんと電話で案内できるように、近くの駅や建物、通りの名前を全部覚えました。道を教えるための日本語も、自分でテキストを作って覚えました。そういうことを2〜3ヶ月やって、電話が怖くなくなりました。
学校で勉強する日本語と、仕事で使う日本語は全然違いますよ。何かのプレッシャーがある時に、言葉って覚えるものなんです。そういう時は、一度覚えたら忘れませんから。それに学校だと、英語またはロシア語から日本語に翻訳して勉強するけど、仕事の時だと最初に日本語を聞く。意味が分からないけど、仕事をしているうちにだんだん分かるようになります。語学学校とは逆の覚え方をするんです。その方が覚えるのが早いと思います。
この仕事が好き。この仕事を続けるために、私は日本にいたい。
私には娘がいます。彼女を日本に呼んだのは、彼女が12歳の時でした。彼女を学校に入れる時は、大変でしたね。インターナショナルスクールはお金がかかります。だから普通の公立小学校に入れましたが、周りの子どもたちと合わなかったんです。12歳と言えば、ロシアやベラルーシでは大人です。でも同じクラスの子たちはすごく子どもっぽかった。それに小学校6年生の漢字って難しいじゃないですか。彼女はひらがな・カタカナを勉強しなくちゃいけない段階でした。でも先生は「みんなと一緒に勉強して下さい。それがここのやり方なんです。だから頑張って下さい」と言うだけ。彼女は半年間ぐらい耐えたけど、精神的におかしくなりそうになっていました。それでロシア大使館の付属学校に入れたら、彼女はすごく楽になったようです。
娘は普通に日本語を話せますよ。お店で働いていますが、日本人のお客様との接客とか、電話に出ることも難なく出来ます。
娘はこの先、どうするか分かりませんですけどね。もう18歳だから、日本に住み続けるかベラルーシに帰るかは、自分で選択すればいいと思います。そうすれば、その結末が悪くても誰かのせいにすることはしないでしょうから。
私自身は、これからもずっと日本にいると思います。この仕事は日本じゃなきゃできないし、どんどん仕事が好きになってきたんです。それに日本での生活はいろいろと便利だし、好きな部分が多いですから。
仕事をして、それによって人々のお役に立てたら満足でしょう?今の仕事でそれを感じられるから、私はずっとこの仕事を続けていきたいと思っています。
愛する娘さんと(同じ「ヴィクトリア」というお名前!)
ヴィクトリアさんにとって、東京って何ですか?
優しい街です。
いつもそう思っています。東京の街そのものが心を持っていると思います。
例えば街の一つ一つに表情があります。浅草、東京のベイエリア、新宿、銀座、日本橋、
池袋、中野・・・一つ一つの街に違いがあるから、それが面白いです。
それに東京は住みやすくて便利です。交通機関はもちろん、ショッピングに行くにも便利、
病院もたくさんある。その便利さに優しさを感じます。警察の人たちも優しかったです。
道を聞いたら荷物を持って一緒に歩いてくれました。
ただその警察も、ここで仕事を始めてからは、私が外国人だからでしょうか、よく私に職務質問をするようになったんです。仕事が終わって疲れている時は本当に面倒です。外国人の全身をチェックする警察官も見たことがあります。
警察官はちょっと仕事をやりすぎかな。でも東京は大好き
です。
ヴィクトリアさん関連リンク
ミンスクの台所(日本語): http://www.geocities.jp/hmichitaka/daidokoro.htm

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