2009年5月9日(土)
#23 モハメド・カイルルさん
貿易会社 代表取締役
(2001年に来日)

「ネバーギブアップ」ですよ、
死ぬまで。
バングラデシュ発、とんでもなくアツい男をご紹介します。
東京・中野区で、中古車輸出業を中心に様々な事業を営んでいるモハメド・カイルルさんです。私の知人の紹介で知り合いました。初めに電話でお話しした時は物腰が柔らかい方だという印象でしたが、いざお会いしてみたら両腕を振りかざして熱く語る、語る、語る!エネルギーと知的好奇心のカタマリのような方です。
でも決して大言壮語を並べるわけじゃない。「目の前の仕事をきちんとやらないで、夢なんて叶うわけがない」これがカイルルさんの持論です。日本に来た時、彼は寿司屋の洗い場からスタートしました。「こんな仕事なんか」とは絶対に言わず、他の人が1時間かかる作業を30分で済ませ、余った時間で調理を学んだそうです。
堅実さと情熱の両輪をフルスロットルで回しながら、常に上を目指して走り続けるカイルルさんのニッポン起業物語をどうぞ!
* インタビュー@ 株式会社LuLu(東京都中野区)
English
2年間、家が無かった。
私はバングラデシュにいたとき、大学に行きながらいろんな商売をしていました。日本の中古車の輸入販売や薬屋の経営です。20〜21歳くらいの頃です。
それで商売がうまく行っていて、「日本に行ったらもっと金持ちになるかな、いろいろ勉強になるかな」と思いました。バングラデシュにいたときは、私は日本人のことを「頭が良くて、何でもできる人たち」だと思っていました。バングラデシュで売られている製品はだいたいMade in Japanで、品質の高いものは全て日本製でしたから。それに元々日本の車が大好きだった。だから日本に行こうと思ったんです。
日本に来たのは2001年4月13日です。学生ビザで来ました。新宿の日本語学校に入って2年間日本語を勉強し、その後パソコンの専門学校に入って2年間勉強しました。
最初の2年間は、家が無かったんです。保証人になってくれる日本人がいませんでしたからね。実は東京に、兄弟は私を含めて3人いるんです。でも彼らは日本では外国人だから、保証人にはなれません。だから西池袋にある兄の事務所で生活していました。その兄は1988年に日本に来て、日本車をバングラデシュに輸出する仕事をしていました。私は彼らの終業後に事務所に帰って来て、始業前に出て行くという生活を2年間していたんです。コインシャワーがお風呂代わりでした。
私は学校に行きながら、毎日夜中まで働きました。仕事先は、兄が紹介してくれたお寿司屋さんや食べ放題の焼肉店「肉のハナマサ」、お台場のヴィーナスフォートにあるイタリアンレストランなどでした。
電話しながら、泣いてしまった。
学校を卒業した後、兄が経営していた貿易会社に入りました。私はそれまでの飲食業での経験を生かして飲食店を開きたいと思ったので、新井薬師前駅(西武新宿線)の近くに「タジマハール」というインド料理レストランを開きました。会社員だと飲食店を開きやすかったんです。
ただ私はもっとビジネスを拡大させたいと思った。それで兄に相談しました。カレー屋さんを経営しているだけでは大きくなれないから、お兄さんの会社から独立したい、と。だから独立する際に「タジマハール」を兄に譲るか、私が経営権を引き継ぐかを話し合いました。それで兄が経営権を持つことになり、私は兄の会社を離れました。
独立してもお金がありませんでした。仕事もありませんでした。この日本でお金がないというのはキツかったです。ご飯代、家賃、携帯電話代など、いろいろお金がかかりますからね。
じゃあどうしようかということで、今度はオランダに在住している別の兄に電話しました。彼はオランダでカレー屋さんを開いて大成功しました。電話しながら私は泣いてしまって、一言も話せない。その様子を察した兄が日本に来てくれました。兄は当面の生活費をくれました。そして兄と一緒に日本中を旅行しました。2週間です。その間に思い切り遊んで、悩みを捨てました。
独立に向け、始動。
それで兄が「最初は自分の力でビジネスを立ち上げてみろ」と言いました。お金はあるけど、最初は援助しないよ、と。そして彼は、私が何がやりたいのか、何ができるのかを見せろと言いました。ビジネスプランですね。それを作って、ビジネスを始めようと思いましたが、立ち上げるためのお金がなかった。
そこで、「タジマハール」の常連さんだった貿易会社の社長に連絡を取ってみようと思いました。その人は日本人で、時計や貴金属などを扱う貿易会社を経営しています。でも彼の名刺はタジマハールにありました。私はそこを出て行った人間だから、成功するまで店に入りたくなかった。だから名刺を取りに行かなかったんです。
だから社長にどうやって会うか考えました。それで、タジマハールから少し離れた場所で、社長がランチを食べに来るのを待ちました。でもずっと待っても会えませんでした。そこで社長の会社が高円寺にあることを思い出し、行ってお店を一軒一軒回りました。でも見つかりませんでした。実は彼の会社は高円寺じゃなかったんです。
そこでその社長のことはあきらめたんですけど、でも前に進まなければいけなかった。だから私はある人からお金を借りました。その人は、タジマハールの場所を提供してくれたバングラデシュ人です。その人は居酒屋「養老乃瀧」のフランチャイズ店舗を4店舗持っています。彼とは、お互いに困った時に助け合っていた間柄でした。その人から30万円借りて、自分の会社「株式会社LuLu」を立ち上げました。
でも会社を作ったらお金がなくなった。仕事もない。じゃあどうするかということで、まずはリサイクルや部屋の片付け作業の仕事を始めました。顧客はタジマハールのお客様からの紹介が多かったです。「カイルルだから助けてあげるよ」って。それだけでは足りないのでカレーを作ってフリーマーケット会場で販売したり、会社設立の時にお金を貸してくれた人が経営する養老乃瀧でお手伝いをしたりもしました。
念願の中古車販売業をスタート。
その養老乃瀧で、私が必至に探していた貿易会社の社長に偶然出会いました。「オマエを探してたんだよ!」と社長は言いました。私も「社長を捜していたんです!」。そこで改めて名刺交換しました。
その後社長に電話したら「今来てよ」と言われました。会社に行くなり社長に聞かれました。「オマエは一体何がやりたいんだ」と。私は答えました。「良いことなら何でもやりたいんです」。社長は「じゃあ毎日ここに来て、仕事内容を全部見てくれ。その中で何か商売のヒントになりそうなものを見つけたら、言ってくれ」と私に言いました。
私は、その会社が扱っている時計に目をつけました。時計は主に中国製ですが、その時計を入れるためのトレーをバングラデシュで作ったらどうかと考えたんです。他にもいろいろ時計を陳列するための用具を作ろうとしました。
でも失敗しました。バングラデシュの工場の技術力が足りなかったので、キレイに作れなかったんです。
私は社長に「バングラデシュで何かを作ることはまだ難しい。だから私は車の輸出をやりたい」と言いました。本当はもっと早いうちから自分自身で中古車販売をやりたかったんですが、お金がなかった。でも社長が資金を出してくれました。そのお金で日本車を買って、バングラデシュにいる兄のところに車を売ったんです。兄がクライアントを持っていましたからね。それに私の叔父さんがバングラデシュでカーディーラーを経営していましたから、そこにも売って、それで利益が出ました。
ドル暴落で大赤字。でも前に進むしかない。
去年の11月まで利益はちゃんと出ていたんです。でもその後ドルが一気に下がって大赤字です。オークションで車を買うんですが、1200万円で10台買って輸出しても大赤字でした。そんな中でも他の業者は一台でも売りたいから価格を下げる。だから私も価格を下げざるを得ないんです。1台あたり120万円なのに、90万円で売らないと人は買ってくれない。だから中古車販売は全く商売にならなくなりました。
だからひとまず中古車販売を休んで、今はリサイクルや片付けの仕事をやっています。それに加えて、私に投資してくれている社長から送られてくるバラの時計をきれいにパッケージングする仕事もやっています。
そんなわけで私はいろんな仕事をやっているから、普通の日本人のサラリーマンよりも給料は多いです。私は、これがダメだったらアレをやる、アレがダメならソレをやるというふうに、いつも柔軟な姿勢でいます。「ネバーギブアップ」ですよ、死ぬまで。仕事があるのがとにかく嬉しい。私は立ち止まらずに何かをしているのが好きなんです。
でもあっちこっちに手を出しているから、何一つ究めていない。そこに自分の中途半端さを感じます。中古車販売を自分の中心に持っていきたい。だけど世界同時不況によりダメになってしまった。だから他の仕事をしなくちゃいけないんです。
かと言って、お金のためだけにやっているわけじゃないですよ。経験を積みたいからだし、いろいろやれば相手にとってもプラスになるからです。でもそれゆえに、自分の中心が無いというフラストレーションはありますね。
漢字を勉強するより、トヨタの社長に会いたい。
バングラデシュの人たちは、貧しさゆえになかなか長期的な物の見方ができません。でも私は目先のお金よりも、語学能力よりも何よりも人間関係が大事だと思っています。私はこれまで、人を大事にしてきました。それはこちらが大事にすれば相手も私を大事にしてくれるからです。たとえ相手からは大事にされなくても、私は大事に思って相手と接します。
私の仕事で言えば、漢字を勉強することよりも、トヨタの社長に会うことの方が私にとっては大事なんです。確かに日常業務には漢字の知識は必要です。でも私の書いた日本語を他の日本人にチェックしてもらえば済む話ですよね。
だから漢字を覚える時間やエネルギーを、トヨタの社長に会うことに傾けたい。そして私の名前だけでも覚えてもらえたら本当に嬉しいです。それから関係を築いていく。商売につながるかつながらないかは、その後のことです。
人間関係が何よりも大事。人がいるから、自分の商売が成り立っているという思い。それが無いと商売はできないですよ。
故郷で支援事業を。
今はもうお金持ちになることは難しいです。時代は変わったんです。日本はもう作るものがなくなってしまいました。その代わり、バングラデシュのように何も無いところの方が可能性があるような気がします。
だから私は日本の良いところを学んで、バングラデシュでそれを生かしたいんです。日本人の真面目さを学んで、将来はバングラデシュに帰って貧しい人や高齢者を助ける仕事をしたいです。
あとはバングラデシュで日本のように清潔な八百屋さんを開くとかね。田舎で作った農作物を、ダッカのような都会で売って、その儲けを農家の人たちに還元して、バングラデシュの農業を支援していく。そういうこともやってみたいですね。
そして利益が出たら、自分は貧乏になってもいいから人に分け与える。小さい頃からそうでしたね。自分のお菓子は必ずクラスの子たちに分け与えていました。だから将来も大金持ちにはならないでしょうね。
究極はボランティアでもいいんです。でもそのためにはお金が必要です。お腹をすかせている人は何を言っても聞いてくれない。まずはご飯をあげることが先決ですから、そのための資金が必要です。
儲けが付いてこなくてもいい。例えばマザーテレサはお金を儲けたいなんて全く思わなかったけど、良いことをやっていたから大企業から巨額の寄付を受けたりしたんです。私自身は貧乏したって、おそばだけ食べたり、ご飯に卵をかけて食べればお腹いっぱいになるから大丈夫・・・いつもそう思っています。
最後はご親族の方々も集まり、楽しい座談会に。
カイルルさんにとって、東京って何ですか?
東京は、バングラデシュの政治家を連れて来たい街ですね。
東京はどうなっているか、日本人はどのくらい頑張っているかを見せるためにも、東京に
ちょっとの間でもいいから生活させたいです。
特に私が素晴らしいと思っているのは、人を思いやる気持ちをみんなが持っていること。
電車に乗るときでも「どうぞ、どうぞ」と言って他の人を先に乗せたり、席を譲ったり
します。トラブルもないし、ハイジャックもケンカもない。警察官もすごく親切です。
こんなことはバングラデシュにもアメリカにもヨーロッパにもないです。
朝8時半になったら老若男女誰もが走って仕事に行きます。東京には働く場所がちゃんと
あるんですね。
そして私自身にもそれがある。だからすごく幸せです。
*撮影協力:松下淳三

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