2009年6月5日(金)
#8 エカテリーナさん
歌手・ピアニスト
(1995年に来日)

日本の歌はロシアの人たちの
心に、きっと届くはずです。
ロシアからやってきた歌姫、エカテリーナさん。ロシア民謡を歌うのはもちろんのこと、久保田早紀『異邦人』のような日本の懐メロや、一青窈の『ハナミズキ』といった最近のJ-POPまで、彼女のレパートリーは多岐にわたります。エカテリーナさんは歌で日本とロシアをつなぐことをライフワークにしています。
NHKの「みんなのうた」でも歌が紹介され、過去にはサッカー日本・ロシア戦のピッチでロシア国歌をアカペラで歌い上げたこともあるという超実力派。でもご本人はすごく気さくで、全然気取りがなく、いつも自然体。「私の作る曲や歌う曲って、マイナーで短調のものが比較的多いんです。私は気持ち的にはメジャー(長調)なのにね」そう言って笑いました。「でも性格はメジャーで、歌はマイナーで、頑張ります!」お世辞抜きで素敵な方です。
ヤクルトホールのような大きなホールでリサイタルを開くかと思えば、小さなレストランやライブハウスでも歌う柔軟さ、人懐こい笑顔。それらが透き通った哀愁を帯びた歌声と絶妙なハーモニーを奏でながら、日本の人たちを魅了し続けています。
*インタビュー@デニーズ八丁堀店(中央区)
English
シベリアからサハリンへ。
私が日本に来たのは、1995年7月28日です。ロシア極東、北海道の真北にあるサハリンから新潟に飛行機で行きました。生まれはシベリアです。
私は小さい頃にピアノを習い始め、高校時代はバンドを組んでいました。その後は音楽の専門学校に行き、卒業後はプロとして、とある交響楽団と一緒に活動していました。交響楽団といっても、クラシック音楽だけじゃなくて民族舞踊も演奏する楽団です。
交響楽団で初めはバックコーラスを担当していましたが、メインボーカルもだんだんと任されるようになりました。旧ソ連にはライブハウスみたいな小さな演奏スペースなんてなかったから、若いうちから大きなステージで歌わなくちゃいけなかった。それが勉強になりましたね。
でもその仕事がだんだん面白くなくなってきました。その上私が所属していた事務所は潰れかけていたし、私の周りでは何やら不穏なビジネスでお金を稼ぐ人たちが出てきました。そういうのにうんざりして、どこか外国人がいるところで働きたいと思うようになりました。外国人に、私が目にしてきたロシア人のような汚さがあるのかどうか、見てみたかったんですね。
そこで思いついたのが、サハリンでした。サハリンには友達が住んでいたし、天然資源が豊富なところだから外国の商社マンや石油会社の人ががたくさん住んでいました。
ライブ@ミンスクの台所(毎週水曜日 午後6時半〜)
日本との偶然の出会い。
サハリンに行ったのは1991年頃、日本に来る4年ほど前です。サハリン州の州都ユジノサハリンスクで、私は分譲のアパートを買おうと思ったんですが、シベリアに比べてすごく高かったので、手が出せませんでした。それで見つけたのが、かつて日本人が所有していたという、すごく古い平屋建ての家だったんです。当時はまだ日本のことなんて全然考えていなかったから、不思議な縁です。6畳の部屋が3つというとても小さな家で、私はリフォームで壁をなくして、広い一間にして住みました。
それから市内のホテルで仕事を見つけました。そのホテルは、ロシアと日本の合弁でした。でもこれも全くの偶然なんです。
歌手としてホテル内のレストランのステージに立ちながら、宿泊客からのクレーム処理の仕事もしていました。宿泊客には外国人が大勢いましたが、その中でも日本人は大人しくて我慢強く、クレームは他の国の人と比べて格段に少なかったです。気に入らなくても、その時は文句を言わないけど、その代わりもう二度と来ない(笑)。それに日本人のお客さんは、従業員にもとても優しかったんです。優しくて、カッコイイ。約束をしっかり守る。そういう日本人を見て、「彼らのような良い人がいる日本に行ってみたい」と思いました。
テレサ・テンを歌い続けた日々。
当時私がステージで歌っていたのは、テレサ・テンさんの曲です。私がシベリアにいた頃は、日本の歌は全く聴いたことがありませんでしたが、ホテルで働いていた時に日本人の宿泊客がテープをくれて、その中にテレサ・テンさんの『つぐない』や『愛人』が入っていました。それらを聴いたとき、メロディや言葉の柔らかさに、風のような優しさを感じたんです。
*テレサ・テン『つぐない』こちらをクリックしてお聴きになれます。
私が歌の仕事をしていたレストランの上司に、作曲家の宮西豊さんという人(http://www.fromsounds.jp/miyanishiyutaka/index.htm)がいました。日本語が全然できないロシア人が一生懸命日本の歌を歌っている、それが宮西さんの目には面白く映ったんでしょうね。後に私に『永遠の友よ』という、サハリンと北海道の友好の歌を作ってくれたんです(*エカテリーナさんとボニージャックスの共同名義)。その後宮西さんはロシア人の経営者とのトラブルに巻き込まれて、経営から撤退したんですが、その時に私はロシア人のズルさを目の当たりにしました。だからもっと日本に行きたくなりました。ロシアにいたって何も良いことなんかないだろう・・・それで日本に行く決心をしたんです。
当時私は、一部のロシア人から「頭がおかしいんじゃないのか」とか「変わってる」と言われました。多分私が日本に行ったことがないくせに日本のことばかり褒めていたからかもしれませんね。あの日本人のお客さんが見せてくれたものがすごく面白かったとか、あの人が言っていたアレ、私も見てみたいな〜とか。それを聞いた友人たちは「そんなに好きだったら、いっそ日本に行っちゃえば?」っていう感じで、ちょっと私を白い目で見ていました。あなたを育てた国はロシアなんだよ、だからもっとロシアのことを良く言いなよって。
でもロシアのことは決して嫌いじゃない。むしろ私は、昔ながらの田舎に住んでいるロシア人が大好きです。優しいし、一生懸命働くし・・・でもこれって、日本人の姿そのものなんですよ。だから私は日本人と一緒にいると自分らしくいられる気がするんです。
それに私が生まれたシベリアは、もともとはモンゴル系の人たちが住んでいた場所でしたから、アジア人が周りに多かった。だからアジア人に対して奇異の目で見ることもありませんでした。そういう背景が私にあるから、日本を好きになったのかもしれませんね。
『涙そうそう』with ボニージャックス
銭湯で日本語を勉強。
サハリンから新潟に飛行機で行き、そこから川崎に向かいました。サハリン時代に一緒に働いていた人が「川崎に行けばこういう人がいるよ」と言って、ある人を紹介してくれたんです。その人はハードロックの歌手でした。
彼はロシア語は全然できなくて、私とは英語で話したんですけど、私の息子の学校のこととか、日本でやっていいこと・悪いことなど、日本での生活についていろいろと教えてくれました。それに彼は音楽活動をしていたから、楽譜が売っているお店とかライブハウスなども教えてくれました。
川崎時代は、昼はファーストフード店で働き、夜はクラブで歌っていました。息子と2人で家賃3万円のアパートに住んでいたんです。お風呂は無かったから、銭湯に行きました。銭湯の存在も、そのハードロックの友達が教えてくれました。
銭湯は、私にとって日本語の勉強の場でした。お金も時間もなかったから、日本語学校で勉強することは無理でした。だから入浴客のおばちゃんたちとの会話を通じて日本語を学んでいったんです。
バイトをしていたファーストフード店では、私はハンバーガーの作り方のマニュアルをロシア語で独自に作りました。それとか注文は他の日本人のスタッフに取ってもらって、自分は出来上がったものを、「お待たせしました」とだけ言ってお客さんに渡したり(笑)。
働いていたと言ってもアルバイトですから、お金がありませんでした。だから小さくて安いお店を探して洋服とか食料を買っていました。そういうところは店員さんとの会話が付き物だから、もしかしたら会話の必要がないスーパーやコンビニの方が外国人にとっては楽なんじゃないか、と思われるかもしれません。だけど私は逆です。例えば青果店で働いているおじいちゃんやおばあちゃんと友達になって、ちょっとぶつけて形が変わってしまった野菜を安く買う。形が変わっても食べられるんだから、私はそういうのにあまりこだわらないんですよね。それにおじいちゃんたちはバナナをおみやげって言ってただで私にくれたり。
他にも、夜はクラブで歌っていたからあんまり寝てなくて、目の下にクマを作っていた。それを見かねたファーストフード店の店長さんは、私にビタミン剤をどっさりくれました(笑)。「それ飲んだら、はい、仕事!」っていう感じで。そういう日本人の親切さが、私には嬉しかった。私が来日以来ずっと求めてきたのは、言葉が通じる環境じゃなく、この青果店やファーストフード店のようにハートとハートのコミュニケーションができる場だったんです。
サッカー日本・ロシア戦のピッチでロシア国歌を斉唱(2003年2月)
新たな夢、生まれる。
私がロシア民謡を本当に好きになったのは、日本に来てからです。私はロシア人なのに、ロシアの音楽をあまり知りませんでした。私が小さい頃は、ホームパーティで来客が民謡を歌ったりしていたけど、それでも「カチューシャ」とか「白樺の木」ぐらいでした。
でも、兵頭ニーナさん(http://www.w-kenki.com/pechka/nina.html)という、日本とロシアのハーフの歌手に、私はすごく影響を受けました。その人とは、私が日本に来て間もない頃に出会いました。
彼女は当時、銀座にあるお店でロシア民謡を日本語で歌っていました。それを聴いた私は「すごい!」と思いました。日本人なのにたくさんの古いロシア民謡を知っているなんて・・・私は自分が母国の歌を知らなかったのが恥ずかしくなりました。
このニーナさんとの出会いで、私の新たな夢が生まれたんです。日本人がこんなにもロシアの歌を愛してくれている。だったら私は、日本の歌をたくさんのロシア人に伝えて、日本人がロシア民謡をよく知っているのと同じくらい、ロシア人が日本の歌を知るようになってくれたらって思うようになったんです。
私に限らずホテルのロシア人従業員たちは、みんなテレサ・テンの歌がを好きになりました。何を歌っているのかは分からないけど、メロディーは誰もが良いと思った。そういう経験から言えば、日本の歌はロシアの人たちの心にきっと届くはずなんです。
何でロシア人の私が日本でロシアの歌ではなく、日本の歌を歌っているのか、不思議に思われるかもしれません。でもそれは、ニーナさんのように私よりロシア民謡のことを良く知っている日本人がいるからです。私がロシア民謡を歌ったところで、彼女にはかなわない。それに日本の歌の持つメロディや、日本語の柔らかい語感が私は好き。だから私は日本の歌を歌うのです。
『百万本のバラ』(ロシア語 & 日本語)
日本とロシアの架け橋になりたい。
日本の歌はロシア民謡に近いと思います。メロディも似ていますしね。それにロシア民謡で歌われるロマンスを、私はテレサ・テンさんの歌にも感じたんです。それを裏付けるように、日本人のお年を召した方がおっしゃいました。「ロシア民謡は、我々の耳に馴染みやすい」と。
これからは私は、もっともっといろいろなところで歌っていこうと思います。あと、もっともっと日本人の心がわかるようになりたいですね。そのためには、日本人がどんな音楽を聴きたがっているのか、とか、私のレパートリーの中で何が好きなのかを探らなくちゃいけないです。
日本の童謡をロシア語で歌ったりしてみたいし、日本の若い世代の歌手、例えばBoAやAIの曲をロシア語で歌ってみたいです。ロシアのポップスを日本語に訳して歌うこともやってみたいですね。
日本人とロシア人がお互いにもっと分かり合えるようになってほしい。私ができるのは歌だけですから、そうなれる環境を歌うことを通して作っていきたいと思います。

保育園にて(2009年4月)
エカテリーナさんにとって、東京って何ですか?
忙しい街。だけど優しさは失われていないと思います。
東京は他の都市に比べて、コンサートやライブを見るチャンスがあれば、やるチャンスも
多いです。日本の人たちは、頑張っている人にはちゃんと視線を送っている。それが優しさ
なんです。
私は森の中で生まれました。その私が、全く自然のない東京で暮らしている。でも幸せ
なんです。東京は自然はないんだけど、優しさにあふれていて、それが便利さという形で
表れています。
だから私はこれからも日本に住み続けます。お金を貯めたら
すごい田舎に移り住んで、日本で人生を閉じようと思って
います。

エカテリーナさん関連リンク
キングレコードHPのエカテリーナさんのページ (日本語)
http://www.kingrecords.co.jp/ekaterina/index.html

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