2009年9月5日(土)
#27 セラミ・クチュクさん
ケバブ屋台「ケバブ61」共同経営者
(2003年に来日)

「ひとつの手では何にもできない。でも、もうひとつの手が
あれば、音が出る」だから
みんなと一緒に頑張りたいね。
My Eyes Tokyoが江戸川を越えて千葉県に上陸!県都・千葉市の中心部でケバブ屋台「ケバブ61(ろくじゅういち)」を営むイケメンのトルコ人、セラミ・クチュクさんにお会いしました。
セラミさんは実に多彩な経歴の持ち主で、母国トルコではなんとプロのサッカー選手だったとのこと!2002年の日韓共同開催W杯世界第3位に輝いた強豪国でプロとして活躍していた男が、日本、それも東京の外れの千葉で日々ケバブを焼き続けている・・・実はこれには深い深い理由があるのです。
*インタビュー@屋台近くの某レストラン(京成千葉中央駅前)
*セラミさんが弟のヴェダットさんと共に経営する屋台「ケバブ61」について知りたい方は、
こちらをクリック!
*構成:鈴木千夏・徳橋功
English
掴みかけた栄光。
「ケバブ61」は、私の弟(ヴェダット・クチュクさん)が2007年の初夏に始めたんです。私がこのお店で働き始めたのは、今年の1月。その前はケバブ屋も含めていろんな仕事をやっていたけど、日本に来る前はトルコでサッカーをしていたんだ、プロのサッカー選手として。だから私がまさか日本でケバブ屋さんをやっているなんて、みんな知らないんじゃないかな。
サッカーは子どもの頃から、11歳の頃からやっていたよ。トルコの子どもはみんなサッカーで遊んでるからね。私は学校では、スポーツだけは成績が良くて、あとは全部バツ(笑)。だからスポーツが私の道だと思ったのね。それで12歳で中学校を辞めたんだ。それからずっと学校には行かずに、サッカー一筋だった。
10代半ばぐらいの頃から、プロのチームが私をスカウトすることを考えていたみたい。だけど当時所属していたアマチュアチームが私を出さなかった。だって20代や30代の大人たちと一緒のチームにいたのに、ずっとレギュラーの座を確保していたくらいだったからね。17歳から18歳の頃は、12試合で41ゴール決めたんだよ。1試合あたり3点以上だよ。サッカーの才能があったんだろうね。
それで18歳でプロになった。契約金は日本円で200万円くらいだったかな。決して大きい金額じゃないけど、プロサッカー選手はトルコではちょっとしたエリートだから、食べに行くお店とかがそれまでと変わっちゃうのね。一緒に行く人間も変わっちゃうし、全部変わるから、生活がいきなり変わっちゃった。日本だったらそれほど大きくは変わらないかもしれないけど、トルコには下と上の間がないから、変わっちゃうんだ。
プロになってから、いくつかチームを渡り歩いた。そしてプロ8年目、ついに契約金が1億円くらいになる・・・はずだった。
苦い挫折。
トルコの「ガラタサライ」(*詳しくはこちらを参照)という有名なチームが私を欲しがったんだ。私もそのチームに移籍しようと思った。契約時期は何ヶ月か先で、契約後には日本円で1億円もの契約金を手にすると思っていたんだ。
だけど、その契約を待っている間にケガをしちゃったんだよね。それで契約の話が白紙になった。そしてついにケガから復帰できなかったんだ。
ケガをした後、しばらくはヒゲが生えなくなった。ストレスがすごいと、ヒゲも生えてこなくなるんだね。本当に考えたよ、これから私の人生どうすればいいのか、サッカーに戻れるかなって。
26歳の時だった。
同じチームにいた友達が私に「あなたがすごいサッカー選手になったら、僕はあなたの運転手になるよ」って言っていた。でもそう言っていた彼らがナショナルチーム(トルコ代表)に行って、私は行けなかったんだよ。苦しいでしょう?自分が子どもの頃から一緒にやっている友達がトルコのナショナルチームに行った。自分が子どもの時から一緒にやっている、ずっと一緒にいる人から「お前がすごいサッカー選手になったら、私はお前の運転手さんになるよ」って言われていたのにだよ。
だから苦しかった。ケガをした時は、先が全く見えなくなった。
インタビュー:鈴木千夏・徳橋功
誰も自分を知らない場所へ。
サッカーをやめて軍隊に入った(*トルコは男性のみの国民皆兵制度をとっている)。でもその前に、将来どうすべきかを考えていたんだよね、半年間鉱山で働きながら。
私のお父さんが鉱山で働いていたんだよ。お父さんの家系は肉体労働で頑張っている人たちだった。それで私もずっと山にいたんだ。だって、町で働いていたら恥ずかしいじゃない?私はプロサッカー選手だったから、私のことを知っている人って多かったし。
軍隊には1年半いた。そして除隊したあと、日本に来たんだ。弟が先に日本に来ていて、彼が寂しがっていたからね。悲しいじゃない、周りに誰も家族がいないと。
日本に行けば誰も私のことなんて知らない。私もサッカー選手だったという変なプライドを持って日本に行くわけじゃないから、新しい人生が始まるだろうって思った。それ以上に、トルコにいることはもう無理だった。仕事はトルコにもあったけど、精神的に働くことができなかったからね。
めちゃくちゃ辛い日々。
最初に住んだのは、東京の南阿佐ヶ谷。当時の弟の家だよね。日本語は全然分からなかった。かと言って英語も分かるわけじゃなかった。トルコ語しか分からなかった。だから辛かったよ。
特に最初の2年は10年みたいに感じた。日本人が話すことがわからないから私のことを良く思っているのか悪く思っているのかもわからない。私の言っていることも相手に通じない。そんなことはたくさんあった。弟とは一緒に住んでいたけど、それも短い間だったし、遊びに行く時は別行動。トルコでは、兄弟が一緒に遊びに行くことなんてしないからね。だから孤独だったよ。一日中一人でコーヒーショップで座って、誰かトルコ人が来ないか待っていた。結局は来なかったんだけど。
外国人にとって最初の2〜3年は、はかない「花」みたい。風が強く吹くと花びらも何もかも落ちちゃうから。それくらい弱くなるんだ。言葉が分からないから誰とも話せない。故郷にいる家族に会いたい、友達に会いたいという思いが募る。そのせいで病気になる外国人もいるくらいだからね。
だから私は家族に電話しまくったし、最初の2〜3年の間に20回くらいトルコに帰ったよ。もし一回も帰っていなかったら壊れていたかもしれないな。
警察の「おうち」。
それで何かやらないといけないと考えて、ケバブ屋さんでアルバイトを始めたんだ。新宿で、キッチンカーで営業していたお店。日本に来て、まさかケバブの店で働くなんて私自身も思っていなかったんだけど、日本語がわからない時は一番それが簡単な仕事だったんだ。それにおいしいものを食べるのが好きで、味が分かっていたから、自分でもおいしいものが作れると思ったし。
それで生活のために頑張って、自分も車を買ってケバブを売ろうと思った。それで1年ぐらい自分のお店を営業していたんだけど、法律が厳しくて、警察から「路上でケバブを売っちゃダメだ!」って言われた。
新宿警察だった。忘れないな・・・初めてだったからね、警察の「おうち」(笑)私は法律を知らなかった。誰も教えてくれなかった。そのせいで無駄なお金を使うことになった。260万円払って車を買ったのに、警察に注意されて店をたたんで車を売ったら60万円にしかならなかったんだよ。それが良い経験になったなんて思っていない。だって私がケバブを勉強したのは、違う人のケバブ屋でバイトしていた時だったわけだからね。
ケバブのお店をたたんでからは、工事現場で働いてた。でも、ほんのささいなことで人間関係がおかしくなったんだよ。
日本人の同僚と一緒に電車に乗ると、女の子たちが私に「ハーイ!」って手を振ってきた。単純に外国人へのサービスだったと思うよ。なのに焼きもちを焼かれちゃう。その「ハーイ!」だけのせいで人間関係がダメになっちゃう。それまで私を応援してくれていた友達から 悪口を言われたり嫌な目で見られたり、そのせいで仕事を辞めることになった。それはおかしいんじゃないかって思ったよ。
出発点に戻る。
日本語が話せるようになってから、スポーツクラブで働き始めたの。品川にあるコナミスポーツクラブ本店でサッカーと、あと空いている時間に水泳を教えることになったんだ。元々やりたかった仕事だったけど、日本語がわからないと教えることができないからね。水泳は3歳から14歳までの子どもたちに、サッカーは高校生とか大人の人たちに教えていた。
彼らの多くはアマチュアでやっている人たちとか、楽しみでやっていた人たちに教えていた。だけど本当は、サッカー選手になりたいっていう子どもたに教えたかったんだよね。夢を持っている人間と付き合っていきたい。夢はすごく大事だから。仕事も同じ。キツい時もあるけど、そういう時に自分に夢がないと、人生がつまらなくなるよね。
でも、子どもたちと接するのは楽しかった。彼らは私のことを「クマちゃん」と呼んでいたよ。体に毛がたくさんあるから「クマちゃん、クマちゃん」って。かわいいよね。子どもは大好き。自分の子どもはまだいないけど(笑)
しばらくそこで働いたあと、弟がすでに始めていた「ケバブ61」で働き始めた。それが2009年1月。それまでは弟一人で材料の仕入れから準備、ケバブ作り、販売、経理まで全てやっていて、ものすごく大変そうだった。ケバブの経験なら私にもある。だから一緒に働くことにしたんだ。
日本に住んで6年になった。この6年は、長かった。20年くらいに感じるよ。それくらい、いろんなことがあったね。
でも最近は、日本が自分の国みたいになってきている。今は永住権も持っている。私はちゃんとやってきた。一切、悪いことはやっていない。「何があってもここでやろう!」と考えた。「絶対に負けない!」と思った。だいいちトルコに帰ってもやることないし、それにトルコで大企業の社長にでもならない限り、過去の挫折を埋められないと思った。「あっちに行っても何にもないんだから、こっちで動くしかないだろ」って。そういう気持ちも、私を日本に留まらせたんじゃないかな。
常連さんは「仲間」。お客さんだなんて思っていない。
上野やアキバなど、都内の一等地でケバブ屋をやっている人たちの売り上げは、1日20万円ぐらいかな。一方で私の店は3〜4万円かもしれない。中心部とは言え、このあたりは平日はあまり人通りが多くないからね。でも都心から離れた千葉なら、それでも大丈夫。このお店にはずっと同じ常連がいてくれているし、彼らは「飽きない味だね」って言ってくれている。そっちの方がすごく嬉しいんだよ。
お客さんのことを「お前」って呼ぶ?どこのお店でも呼ばないでしょ。でも私は言っているんだよ。「お前この野郎、1週間前から何で来ていない?」って。それで彼らは「ごめんごめん、忙しかったんだ」って。あいさつみたいなものだよね(笑)そんな感じで、彼らは私にとって彼らはお客さんというよりは「仲間」だから。お店はみんなが一緒に集まっているところ、みたいな感じで考えている。だから、今はすごく楽しいよ。
でもね、今のままでずっと行こうとは思わない。誰かとつながって、仕事を大きくしたい。私の今の仕事をね。今はそのチャンスを待ってる。大きくしたら他のケバブ屋に負けないってわかってる。お店の常連は、別の店で食べると「失敗した」って言うくらいだよ。だから、この調子で頑張るしかないね。
人にチャンスを。
世の中には運が良い人と運がちょっと悪い人がいるものだけど、今は運の悪い人をみんな切り捨てるじゃない?例えば今、日本で40歳以上になると仕事が見つからないとかね。それも非常に悲しい。「その人たちにもチャンスが必要なんじゃないんですか?」って。何歳になっても、人間は人間だよ。だから私は、そういう人たちにチャンスをあげたい。
トルコに良い言葉がある。「ひとつの手では何にもできない。でも、もうひとつの手があれば、音が出る」。だって、片方の手だけ振っても音は出ないじゃん。だからみんなと一緒に動いて、一緒に頑張りたいね。
セラミさんにとって、日本って何ですか?
日本ってすごく良い国だよ。きれいな国。自然が多い。
山とか海とかキレイ。街がすごくキレイ。国がすごく
大切にやっていると思う。
だけど日本は、寂しい。そこはごめんなさいだけど、失礼かもしれないけど、日本は寂しい。
学校で勉強だけじゃなくて、家族の愛を、家族が大事っていうことを、おじいちゃんや
おばあちゃんが大事っていうことを、全部教えなくちゃいけないと思う。日本の子どもは学校に
来ている時間が多いでしょう?だから学校で子どもたちに、年寄りを大事にすることをちゃんと
教えなくちゃいけないんだよ。
愛情を忘れているよ、日本の若い人たちは。自分の家族
だけじゃなくて、お父さんやお母さんだけじゃなくて、
自分の兄弟だけじゃなくて、みんなに愛情を与えなくちゃ
いけないと思うよ。全世界同じ、人間は人間なんだから。
セラミさん関連リンク
ケバブ屋台「ケバブ61」:http://kebab61.com/
*セラミさんが弟のヴェダットさんと共に経営する屋台「ケバブ61」について知りたい方は、
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