舞台は世界だ! #10 影山伊作さん

舞台は世界だ!

いざ、大海原へ。

2009年7月21日(火)

#10 影山伊作さん

和太鼓奏者
(アメリカ生まれ、日本育ち)

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太鼓は僕という人間を形づくっただけでなく、自分は何者なのかを見つけさせてくれたんです。



今回ご紹介するのは、数千年にわたり伝えられてきた日本の伝統を受け継ぐ日系アメリカ人、影山伊作さんです。東京に活動拠点を置く太鼓集団「天邪鬼」のメインプレイヤーである影山さんは、和太鼓の全国大会で2度優勝した経験を持つ、和太鼓界の若きホープです。
ただその一方で、彼は伝統音楽の世界に「風」を吹き込もうとしています。そのひとつの試みが、日本の伝統民謡の、新たな解釈による演奏です。
かつては日常風景に溶け込んでいた音楽、ともすれば時代の変化から置き去りにされてしまいそうな民謡を、ディストーションが思い切りかかったエレキギターやグルーブ感あふれるベース、そして渾身の力を込めて放たれた力強い和太鼓の響きによって、若い人や外国人をもトランスの世界にいざなう、新しい音楽へと変えていくのです。しかも、民謡が持つ素朴さを失うことなく。
伝統から革新へ、革新から伝統へと影山さんを突き動かすものは何なのか。彼が感じてきた音、彼がこれから感じたい響きを、インタビューで探っていきました。


*インタビュー@ Wolfgang Puck 新宿店

*翻訳協力:NPO法人セカンドスペース



English




世界を旅する太鼓打ち。

僕が生まれたのは、アメリカのサンフランシスコです。4歳までサンフランシスコ、それ以降はほぼ日本です。母(AP通信東京支局特派員の影山優理さん)の転勤の関係で、12歳の頃に再びアメリカに戻り、2年半ほどデトロイトで暮らしたんですけどね。だから日本に住んでいるのは約20年ということになります。

*お母様の影山優理さんにもインタビューしました! 詳しくは こちらをクリック!

6歳の時から太鼓を始めました。だけどデトロイトにいた時はやっていなかったので、太鼓打ちとしては合計で約20年のキャリアです。今では太鼓が僕の仕事になっています。
日本で過ごしているほとんどの時間、それだけでなく時おり海外に行く時も、僕が所属している太鼓集団「天邪鬼」と行動を共にしています。今年始めにはドバイに2回演奏旅行をしたし、中国にも行きました。ブラジルには今までに何回も行っています。来年始めにも、再びブラジルに行く予定です。
日本で過ごす残りの時間には、コンサートやライブ、他にも太鼓のワークショップに参加したり指導したりします。これらが僕の仕事です。


太鼓集団「天邪鬼」の演奏。圧巻です!


何で太鼓を打つのか、その意味がわからなかった。

「天邪鬼」には8歳の時に入りました。師匠である渡辺洋一先生には、僕と同い年ぐらいの息子さんが2人いて、僕は彼らと一緒に育ちました。渡辺先生は、いわば僕の音楽の「父」であり、息子さんたちは兄弟のようなものです。
太鼓を打ち始めた時、僕にはその重要さがわかっていなかったんです。なぜ太鼓を打つのか。太鼓は僕にとって何を意味しているのか・・・僕の両親はこう言いました。「あなたは日系アメリカ人で、日本にはいるもののインターナショナルスクールに通っている。だから何か日本的なものを身につける必要があるんだよ」と。それが両親が僕に太鼓を始めさせた理由です。けれど僕には、なぜ自分が太鼓をやる必要があるのかがわからなかったんです。


ようやくたどり着いた答え。

太鼓を打つことに自分から興味を覚えたのは、太鼓を始めてから8年後、16歳の頃でした。それはデトロイトから日本に戻った時でした。2年半の間アメリカ中西部の中学校で過ごしたんですが、全校でアジア系の生徒は2、3人しかいなかったんです。それ以外には10〜15人の黒人の生徒、あとは全員白人でした。先生もみんな白人でした。
だから日本に戻ってもう一度太鼓を始めた時、初めて太鼓がすごく意味あるものに思えてきました。デトロイトで2年半そういう経験をしてから帰国した時に、「アイデンティティ」というものが自分にとって他人事ではなくなったんですね。
周りにほとんど日本人やアジア系がいないという環境にいた時、僕にはアイデンティティ、つまり「自分は一体何者なんだ?」という、その答えを見つける必要に迫られました。しかしそれを見つけることができなかったんです。だってデトロイトには日本的なものはほとんどなかったわけですから。
当時メジャーリーグにはイチローも松井も野茂もいなかった。「あの人、かっこいい!」と思える日本人が一人もいなかったから、アメリカ中西部にいた日本人の子どもである僕にふわさしいロールモデル、つまり良きお手本となる人を見つけるのはとても難しかったんです。一方で、黒人の子どもはラッパーに憧れ、白人の子どもが尊敬する人はたくさんいました。
だから僕は、自分のアイデンティティを自分自身で見つけなければならなかったんです。それはとても難しくて、日本で再び太鼓を始めるまでの2年半の間、とうとう見つかりませんでした。太鼓をやろうにも、デトロイトには太鼓もなかったし師匠もいなかった。太鼓を打てる環境に僕はいなかった。だから余計に悩んだんです。

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太鼓が教えてくれたこと。

日本文化について学ぶことは本当に大切なことだと思います。太鼓は僕に一つのことをやり通すことや、起こった問題に最後まで対処することを教えてくれたんです。文化や言葉をただ学ぶだけより、もっとたくさんのことを太鼓は僕に教えてくれました。太鼓が僕という人間を形作り、自分が何者なのかを気づかせてくれたわけですから。
太鼓は僕にとって、アイデンティティを見つける旅の道しるべになったんです。太鼓は僕という人間を形づくっただけではなく、自分が何者であるかも見つけさせてくれた。そして今、太鼓は僕にとって自分が何者かを表現する手段になっているんです。


次の時代に伝統を引き継ぐために。

自分にとって大切な太鼓が21世紀にもしっかりと引き継がれていくために、僕には取り組まなければならないことがたくさんあります。
太鼓を集団で打つ場合、メインの楽器は最初から最後まで太鼓だけ、といいうことがほとんどです。太鼓の世界の先達たちが過去40〜50年の間にされてきたことを、僕らが踏襲しているに過ぎません。今では、前より太鼓と他の楽器とのコラボレーションが少しずつ見られるようにはなってきていますが・・・。
例えばロックと和太鼓のコラボレーション企画があったとします。ロックバンドの演奏は最高、太鼓の演奏も最高、だけど1+1=2で終わってしまって、1+1が3、4、5になるまでにはなっていない。こういう事例がまだまだあると思うんです。それを突破してまったく新しいジャンルの音楽を創り出すためには、1+1を少なくとも2以上にしなければならない。でも太鼓ではそのようなことはほとんどなされていなません。僕みたいな太鼓打ちは、そういう課題を解決しなくてはならないと思っています。
ただ上手な太鼓打ちになるだけでは十分ではない。それが求められていたのは、20世紀までの話です。21世紀においても和太鼓の火を絶やさず灯し続けるためには、上手い太鼓打ちになるだけではなく、優れた「ミュージシャン」にならなければならない。そのためには太鼓打ち同士で演奏するだけではなく、他のジャンルのトップレベルのミュージシャンたちとも演奏しなければならない。良いミュージシャンになって、ジャンルを超えて評価されなければならない。そのためにはいろんな音楽をたくさん聴く必要があります。そうすれば「ルール」がたくさんあることがわかります。他のジャンルのミュージシャンと共演を始めるために必要なルールです。
次世代に太鼓を引き継ぐために、僕はそれらに取り組まなければならないと思っています。ジャズやワールドミュージック、ロックなどの分野で僕がずっと聴いてきたミュージシャンたちと共演する、そこまで視野に入れています。そして今までの枠を打ち破って「タイコ・ミュージック」と呼べるものにしたいですね。太鼓が他のジャンルの音楽とコラボした時、初めてそれが実現すると思います。3~5年の間に本格的に取り組みたいですね。もっとたくさんの人たちと共演することで、実現に近づいていくと思います。


「ハイブリッド・ソウル」

僕が今組んでいるユニット「ハイブリッドソウル」は、僕の目標への第一歩です。このユニットはエレキギター、エレキベース、それと和太鼓で日本の民謡を演奏しています。
僕は日本民謡を聴くと、民謡歌手の歌声がジョン・コルトレーンのサキソフォンの音色のように聴こえるんです。またある時にはアフリカやアフロキューバ音楽のようなビートを、民謡に感じます。「このリズムはこの民謡にぴったりハマるな」みたいに、ハイブリッド・ソウルでは唄とリズムの意外な組み合わせを楽しみながら演奏しています。

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「ハイブリッド・ソウル」
左から: パット・グリン (ベース)、影山伊作 (和太鼓)、クリス・ヤング (ギター)

どこかで僕らの音楽を聴いたら、日本人ならきっとロックスタイルのアレンジの中にもある種の郷愁を感じると思います。一方で、日本を訪れている外国人にとっては邦楽そのもののように聴こえる。でもその音楽は外国人にとって耳に馴染むものであり、聞きやすくできています。純粋な邦楽ではないけど、ゴリゴリのロックでもない、まさにハーフ・アンド・ハーフ。だけど日本人の若者にも外国人の若者にも、心地よく聴こえる、それが僕らの音楽です。だからハイブリッド・ソウルが、日本について学びたいと思っている外国人にとっての「入り口」になれたらいいなと思いますね。


栃木・群馬地方の民謡「八木節」が彼らの手にかかると・・・
(オリジナルはこちらをクリック!)


2つの祖国のあいだで揺れ動く。

僕は誰かが英語と日本語のミックスでしゃべっているのを聞くと、なんとなく落ち着くんです。なぜならそれを耳にした瞬間、その人は僕とかなりの部分で分かり合える人なんだと思うし、その人は多分、海外に暮らす日本人であるということが何を意味するかを知っているからです。そういう文化には良い点があり悪い部分もあるけど、僕はその文化に属する人たちの一員なんです。そういう背景も「ハイブリッド・ソウル」結成の要因としてあるんだろうと思います。
僕みたいな日系アメリカ人、しかも日本で育った日系アメリカ人だと、自分が日本人とアメリカ人のどちらになるのかの選択を迫られるような気にさせられます。そのことであらゆる問題に直面することになります。ある部分はアメリカ人だけど、ある部分では日本人という、一人の人間の中に2つの異なる文化を抱えるわけですからね。でも「あなたはアメリカ人なんですよ!」って言われたとしたら、違和感を感じるんじゃないかと思います。
でも日本人になるにしても同じことが起こるでしょう。日本人という枠組みに無理に入ろうとしても、そこにはぴったりとははまらない。でもアメリカの枠組みにもぴったりははまらない。そこで悟るべきなんです。いかなる枠組みにも自分をはめる必要なんて無いんだ、と。「枠組みなんか忘れてしまおう。枠組みから自由でいよう。ありのままの自分でいよう」と言えば楽になります。変に自分を枠の中にはめちゃうよりは、ありのままの自分自身になろうとするほうがいいと思いますね。
僕は日本にいる時のほうがより自分が自然体でいられます。最近は帰国子女がかっこいいと思われています。そういう人たちは、英語を話し両方の国の考え方を身につけているだろうと世間では思われています。より柔軟で前向きなキャラクターを持っている、外国人の良い部分と日本人の良い部分を兼ね備えている、だから行く行くはエリートの仲間入りをするんだ・・・そんなふうにに思われています。
だから帰国子女は、みんなから歓迎されます。だけどもし彼らの期待に応えられなかったら、自分が実は上記のような人間ではなかったとしたら、あっという間に手のひらを返されることもあり得ます。だから人が何を言おうとも、彼らの理想像と自分が違っていたとしても、僕はありのままの自分でありたいと思うんです。


「クール」な太鼓奏者になるために。

僕は太鼓を教えるためによく海外遠征に行きます。中でもブラジルでは、太鼓の習得に熱心な子どもたちにたくさん出会いました。その熱心さは、彼らの文化に因るところが大きいと思います。ブラジルでは誰とでも、たとえ他の太鼓グループの子とでも食べ物や飲み物を分け合うし、一緒に行動します。それとは逆に日本では、グループごとにバラバラで、垣根を越えて仲良くなるなんていうことはないです。文化の違いなんでしょうね。
ブラジルでは、10代の子が1つの場所に700人もいれば、3〜4日後にはその中から何組かのカップルが生まれるものです。これはいわば人間社会のドラマですから、大いに歓迎すべきことです。
太鼓を打てばきっとガールフレンドやボーイフレンドが注目してくれる。そうなれば、太鼓を打つことは「クール」で「セクシー」なことなんだと子どもたちが思うようになる。太鼓をカッコよく打つのと、上手に踊ることは同じくらいセクシーなんだ、と。そうなれば、やがてその子たちからエネルギーが湧いてくる。それが練習してもっとうまくなるための原動力になるんです。だから異性の目を意識することは、僕は全然悪いことだとは思いません。
いっぽう日本では、そんなことは全く起こらない。日本の子たちは別のグループの子とは友達になりません。グループの中に女の子が何人か入っていても、「太鼓グループの友達」にしかならない。日本では何であれグループというものはかなり厳しく管理されている、そういうことも原因としてあるでしょうね。だから和太鼓の世界でたくさんの可能性を秘めているのは、むしろブラジルのほうだとすら思います。
けれど僕は、日本の子どもたちを無理矢理頑張らせようとは思いません。例えば日本の野球少年たちは「イチローみたいになりたい」「松井みたいになりたい」「松坂みたいになりたい」と言いながら日々練習しています。何故か?それは彼らがセクシーだから、クールだからなんです。子どもたちは、女の子にもてることやお金をもうけることまでは考えていないでしょう。だけどみんな「クール」になりたいと思っている。その思いは決して不純じゃない。すごく大事なんです。
僕にとっての「クール」とは、素晴らしいミュージシャンたちと素晴らしい音楽を演奏することなんです。だけど、イチローや松井などのように子どもたちが憧れ、彼らのようにクールになりたいと思って練習に励むような太鼓打ちが、果たしているのかな・・・残念ながら僕は知りません。僕がそうなれるかどうかもわかりません。「オレこそがクールな太鼓打ちになってやる!」・・・なんて、とても言えないですよ。次世代を担う子どもたちに聞いてみて下さい。僕がクールな太鼓打ちかどうかって(笑)


Isaku20Kageyama202.jpg


伊作さんにとって、太鼓って何ですか?

僕自身を形作っているものの全てではないけど、
そのひとつだとは言えますね。

太鼓は僕の人生を豊かにしてくれるものであり、自分の行くべき道を示してくれるものです。
僕が何者であるかを見つけさせ、また何者であるかを表現させてくれるものです。そして太鼓は
僕にとって人々とコミュニケーションするための手段なんです。

もしも太鼓を打っていなかったら、僕はこの世にいなかった
かもしれない。ひょっとしたら刑務所にいたかもしれない
ですよ。



伊作さんにとって、東京って何ですか?

僕のふるさとですね。

東京は、音楽活動をする人にとってはおもしろい場所だと思います。特に日本の音楽を演奏するなら・・・僕の場合は太鼓ですね。特に日本人にとっては、東京は住むに良し、日本の音楽や
日本語を用いた音楽をやるに良し、な場所です。それに東京は日本における情報やビジネスの
中心です。だから・・・

何かに挑戦しようという人にとっては、東京は住みやすい
街だと思います。




影山伊作さん関連リンク:

影山さんのウェブサイト: http://www.isakukageyama.com/japanese/profile/

影山さんのページ(Myspace): http://www.myspace.com/isakukageyama

天邪鬼のウェブサイト: http://amanojaku.info/

ハイブリッド・ソウルのページ(Myspace): http://www.myspace.com/hybridsouljapan

舞台は世界だ!#2 影山優理さん: http://www.myeyestokyo.com/aboutme/Interview/taidan/pg13.html







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